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哲学はすべてを解決する?

結論からいうと、まあそうでしょうね。

哲学をすれば、すべて解決だ!ということ。

ほんとかよ、と問う人もいるでしょうが、まあホントです。哲学するならば、人のなやみはたちどころに消え…ということはないですが、解決に至ってしまうのが哲学というもので、そうでなければ、それは哲学ではなかった、というだけのハナシ。

あ、なんかダマシが入ってます?

解決すれば、それは哲学で、解決しなければ、哲学ではなかった、って、それはズルイでしょう、と。

まあ、つまりは結果論です。

先に「ひるますはいかにして哲学者となったか」にも書きましたが、すべては結果論でしか言えないというのが肝心です。

あのときの話では、「悩んでいればテツガク」という話にチャチャを入れてみました。同様に対話をすれば(していれば)テツガクというのもちょっと違うと思います。そこになんらかの知見があってはじめて、知的なヨロコピなり満足が得られてはじめて、なにかを解決したということになるわけでしょう。

やはりなんらかの手がかりというか、導き手(はやりのメンターか)があってはじめて、そのような知見にたどり着けるということでしょう。

その手がかりが「哲学書」であったり、「哲学者」という人であったりするのでしょう。

繰り返していうと、それは結果からしかそう言うことができない。

よく似た言い方に「哲学は役に立つか」というものがある。これは「すべてを解決する」という言い方よりも多義的にとらえられるから、う〜んどうだろ?とつい反射的に思ってしまうけど、結果としてその思考が役に立ったならば「役に立つ」と言える。かくして○○は、という主語から判断するのをやめて述語という結果からものごとを見ていけば、すっきりする。

だから、「哲学」という言葉を「その言葉のうちに結果を含むもの」と考えれば、まさに哲学はすべてを解決する、と言いうる。

哲学が結果として哲学であるには、私の本でもなんどでも出てくるが、ひとりよがりにならないことが大事。つまり、上にあげた哲学書やメンターというものの存在だ。

まぁそういうわけで、このnoteでは私が、いろいろと世の中の問題とやらを解決していきたいと思っております。


【伊丹堂のコトワリ】ひるますの哲学書。倫理とは、正義とは、美とは、について対話形式で語った電子書籍です。

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