文明は野蛮である

 パウエル米国務長官はこう言い放ったそうだ。「アフガニスタンの子どもたち、貧しい人々、米国を憎む連中に対して戦争を仕掛けてもかまわない。なぜならわれわれは文明人であり、やつらはそうでないのだから」と。(ジョン・ゲラッシ「泣くのは誰のため?」、『非戦』所収、27頁)

 ぼくは文明の野蛮を思う。何十年も、何百年も、いや何千年も昔から、文明人は野蛮だった。「未開」な人々と「文明」社会の人々の出会いは友好的なものではありえなかったし、文明は未開を野蛮に駆逐してきたのだ。

 先日ある本屋さんで目に飛び込んできた本(ラス・カサス『インディアスの破壊についての簡潔な報告』)には、16世紀のアメリカ大陸で文明国スペインの開拓者たちがおかした乱暴狼藉が報告されている。文明人たちは王妃を公然と犯し、幼子を振り回しては岩に打ちつけ、一撃で首を斬り落とせるか賭けをしたという。野蛮きわまりないが、同様の話は近代史にも現代史にもあまた登場する(日本人もまた、ある時期ある地域で、その主役だった)。

 文明は野蛮である。文明人はタリバンの公開処刑を野蛮なやり方として非難したものだが、アメリカ政府が「珍しい映像」として公開した、米軍機投下の爆弾直撃によるタリバン兵の「肉体四散の図」は野蛮ではないのか? その行為はもちろん、得意満面と! 公開するその感覚もまた。(2002.01.26)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?