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昭和53年度卒業川上ゼミ「公共広告」ーその理論と現実②:第3章第3節 アメリカとの比較における「公共広告」の示唆するもの 文芸学部4年E組14番大柴ひさみ

1979年3月の卒業時に提出した私の42年前の卒論を、自らの備忘録の1つとして、週末、投稿した(目次、はじめに、おわりにの3つ)。182ページと長く、かつ全て手書きなので、ここに全てをアップロードするつもりはないが、とくに興味深いと思われる、第3章第3節を今回は記したい。

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42年前の私は、まさか38歳でアメリカ人と結婚して、米国に永住するとは夢に思っていなかったが、この卒論の中で日米比較をしており、やはりこの文章はアップロードすべきだ思う。文章がくどくてナイーブな視点で目を覆いたくなるような部分が目立つが、主旨のある部分は、今の自分の考えとそんなに大きな違いがないことに驚く。

注:1979年当時にはマスメディア以外メディアは存在せず、インターネットも携帯電話も普及しておらず、人々はデジタルという言葉すらアタマに浮かばず、生活は全てアナログだった。

第3章第3節 アメリカとの比較における「公共広告」の示唆するもの

さて、以上あらゆる角度から、「公共広告」の現実を考察してきた。では、これまで繰り返し述べてきた「公共」とは、一体何であろうか。「公共」とは言うまでもなく、英語のPublicに相当する言葉である。欧米人が、このPublicという言葉を口にする時、長い歴史の中で、さまざまな政治権力の弾圧に立ち向い、自らの意志と行動によって、勝ちとった民主主義(Democracy)の精神をも、意味する。そして、それは、対極を成す、集団を超える個人の自由の精神と、相対峙することによって、その均衡を保っている。

日本の場合、こうした欧米流のPublicの精神が欠落していることは、否めない歴史的事実であり、その弊害はさまざまな形で表出する。土居健郎は、その著書『甘えの構造』で、(注21)日本人の精神生活に占める、内と外という意識において、日本人と欧米人との、Publicの精神の相違を示している。

内という日本語が、身内とか仲間内というように、主として個人の属する集団を指し、英語のプライベートのように、個人自体を指すことがないのは注目すべきことであると思われる。中略…さて日本には集団から独立した個人の自由が確立されていないばかりではなく、個人や個々の集団を超越するパブリックの精神も至って乏しいように思われる。そして、そのことも以上説明してきた内と外という風に日本人が生活空間を区別し、それぞれにおいて異なる行動の規範を用いても、一向に怪しまれない事実に由来すると考えられる。日本人がいわば理性的に行動するのは遠慮のある場合であるが、しかし遠慮を働かせねばならないサークルも遠慮を要しない外部の世界に対しては内と意識されるのであって、本当の意味ではパブリックではない。大体内と外という分け方が個人的なものである。しかもそれが社会的に容認されているのであるから、パブリックの精神が育つわけがないのである。(土居健郎著『甘えの構造』 第46版 弘文堂 1971 P40-41)

土居は、日本人が「内と外」という、遠慮の有無によって生ずる集団を、目安として生活空間を区別し、それぞれで異なった行動規範を用いている以上、公私という区別は不鮮明となり、欧米流の集団から独立した個人の自由も、個人や個々の集団を超越するパブリックの精神も、確立されないことを指摘する。

明確な市民意識が、自らの手によって形成されずに、欧米流のPublicの精神が、戦後日本に流入してきたことは、多くの矛盾を生み出した。土居は、「内と外」の生活空間が、厳密な意味では、3つの同心円からなり、内側を遠慮のない身内の世界、中間帯が遠慮が働く人間関係、外側を遠慮を働かす必要のない他人の世界、と分けた。ともに、無遠慮な世界であるが、内と外の世界が、前者は甘えていて隔てがなく無遠慮であるのに対し、後者は隔てはあるが、それを意識する必要のないので無遠慮になる、という相違をあげている。

この外側の意識する必要のない無遠慮な他人の世界という、日本人の外意識が、Publicの訳語である「公共」という言葉に、しばしば転化され、用いられている。この日本人の精神生活を支配する、「内と外」の意識が、欧米人の言う、個人や個々の集団を超越するPublicの精神の発達を阻害しており、ひいては、「公共」という問題意識を、非常に曖昧で、自分勝手な形に押しとどめているのである。

以上のように、日本的な「内と外」という意識に、まったくとらわれることなく、Publicの精神にもとづき、広告という説得のコミュニケーションの効果を最大限に、活用しているのが、アメリカである。川上宏の言う「豊かな国アメリカの極めてアメリカ的な広告」として、「公共広告」は、「古き佳き時代」以来のアメリカ民主主義のシンボルである。(注22)

自己の属する社会に対する参加意識の高さと、政治権力による強制にではなく、説得に従おうとする「民主主義(Democracy)」の精神という社会基盤に根ざして、行われるのが、アメリカの「公共広告」である。アメリカの「広告」は、自らの信念を強く主張する。

「Won't you buy these hungry kids $400 worth of food for $10?」(この飢えた子供たちに、$10で$400の食糧を買ってあげてくださいませんか)(Ph 27 参照)

「The New York Public Library has found a rich uncle. But he'll help us only if you will.」(ニューヨークの公立図書館は、金持ちのおじさんを見つけました。でも、あなたの力がなければ、助けてもらえません。)(Ph 28参照)

「Maybe if you ask yourself "Where does all the time ago?" now, you won't ask yourself where it all went when you're 75.」(今、「時間を無駄に使っている」と気がつけば、75歳になって、「一生はどこに行ってしまった」と悔いずにすみます。)(Ph 29 参照)

「How can we stop the rest of the world from dumping on when we're dumping on ourselves?」 (私たち自身が、ゴミを捨てながら、他の人にゴミを捨てるなと言うことができるでしょうか?)(Ph 30 参照)

(以上、『日米コピーサービス』Sep. 25 '72、および Nov. 10 '78 日米通信社より抜粋)

これらの広告には、同意者に対して寄付を要請するクーポンがついており、アメリカの受け手たちは、その広告に同意させるだけの説得力があった場合、非常に積極的な意見や行動、あるいは財政的援助という形で、その考えを支持する。日本の同意が、「積極的に反対はしない」という、意見(=理想)と、事態(=現実)の乖離を生ずる現状とは、大きく異なり、アメリカのそれは、確実に合致し、意見(=理想)の実現化を、積極的に推進するのである。

こうしたアメリカの「公共広告」は、政府各種団体、企業と、ありとあらゆる立場の送り手たちによって、華々しく展開されている。けれども、その中で特異な存在として、1942年War Advertising Council(戦時広告協議会)として発足した、The Advertising Council Inc.(広告協議会)があげられる。(注13)第2次世界大戦という国家の危機に際して、政府の要請のもとに、広告のクリエイティブ能力と、受け手に到達するコミュニケーションのチャネルを代表する組織とを、国家へ奉仕するという形で、Ad Councilはスタートした。その公共キャンペーンは、表Ⅲ-1、Ph 31、32、33の示すとおりで、1942年設立以来30年間に費やした無償の行為を金額に換算すると、65億2976万9898ドルの巨費に達するとのことである。(注23)

しかし、このAd Councilが、その成立状況から推測できるように、政府という既存の体制への擁護として、機能してきたことは、疑いの余地のない現実であり、その日本版とも言うべき、社団法人公共広告機構が、(注14)企業の社会的責任の集大成として、成立したことと、軌を一にする。

この非営利団体とする公共広告機構の基本理念は、「広告のもつコミュニケーション機能を、通じて明確な問題意識をもって、公共の立場から、1人1人に自立と相互連帯を呼びかける」ことであり、具体的には、

趣旨に賛同した会員が拠出する会費を、運動資金として、新聞・放送・雑誌等の各媒体から無料もしくは、極めて安い料金で紙面や時間の提供を、広告会社からはアイディア・コピー・フィルム製作のサービスをうけ、それぞれの持てるものを出し合って、自発的なボランタリーな奉仕によって公共のためにキャンペーンを行う。(社団法人公共広告機構 東京本部設立趣意書より抜粋)

というもので、その活動状況は、表Ⅲー2、Ph 34、35、36のとおりで、アメリカのACのミニチュアとして、1971年位設立された。これらが、ともにその「政治色」(AC)、「企業色」(公共広告機構)を、払拭することができず、広告不信という失地回復のため、その企業の贖罪の産物として生まれ、常に、既存体制の補強の効果を果たしてきた。

このような動きに見られるものが、前節で述べてきた高度大量消費社会の終焉が、もたらした、体制擁護というイデオロギーとしての広告の機能であり、説得のための露骨で効果的な武器として、広告は、その役割を演じ始めている。その顕著な例として、ACが1976年から行っている1つの公共奉仕キャンペーンが、あげられる。「経済教育キャンペーン」と称し、現在も継続して行われている。このキャンペーンは、次のような目標で行われている。

①一般大衆が、アメリカ経済システムに関して、よりよく知ろうという意欲を創造すること。②経済学の大衆化。③人々が、経済学をよりよく理解することの必要に注意を喚起する。④経済学をよりよく理解させようとする人たちの努力に対して、肯定的な雰囲気を醸成していくこと。⑤国民全体・社会各層によって行われる積極的努力が、総合的効果を生ずるように助成すること。⑥そして、望むべくは、ユーウツな科学と称された経済学のイメージを少なくともより理解しやすい科学と変えること。(植條則夫「現代の公共広告を考える」抜刷『広告科学』第二集 日本広告学会 P55)

このACの「経済教育キャンペーン」に対し、これをアメリカ経済制度についての、一方的な宣伝として、異を唱える反対派たちは、反論権を要求してきたのである。(注24)まさに、イデオロギーとしての広告の演ずる役割の好例であり、現実に行われている「公共広告」の究極的な形が、ここに表出してきたように思われる。

アメリカを、あらゆるものの模範として、追従してきた日本の広告は、このアメリカの先例に、遅かれ早かれ行き着くことは、論理の帰結である。受け手は、この現代の「広告」に内在する危険性を充分認識し、かつまた、その動きを素早く察知することにより、その対応の仕方を学ばねばならない。

現代は、ダニエル・ジョセフ・ブーアスティン(Daniel Joseph Boorstin)の言うImageの時代である。

われわれは大量幻覚にかかっているのかもしれないが、大量覚醒のための公式はないのである。疑似イベントの法則によって、大量覚醒のためのあらゆる努力そのものがわれわれの幻影をいっそう飾り立てるのである。(D. J. ブーアスティン 前掲書 P274)

この大量幻覚(Mass illusion)にかかっている受け手たちは、現代というImageの時代で大量覚醒(Mass disenchantment)のための公式を見つけることが、本当にできるのだろうか。

(注16)アメリカのマーケティング理論家W・オルダーソン(W. Alderson)は、その著『マーケティング行動と経営者行為』(Marketing Behavior and Executive Action)の中で、現在の非価格競争経済では、広告の役割を「製品差別化の手段」と規定している。需要と供給を出合わせる努力としてのマーケティングは、価格や品質といった本質的差異ではなく、相対的優位性ないし、差別的優位性を求める競争というかたちをとらざるを得ない。そして、そのため企業にとって広告と製品差別化が、市場分割のための有効な手段となると指摘している。(川上宏「第2章広告とマーケティング」『講座 現代の社会とコミュニケーション』第5巻『情報と生活』東京大学学生出版会 1974 PP34-39)

(注17)ポール・A・バラン(Paul A. Baran)  & ポール・M・スウィージー(Paul M. Sweezy)は、ともにアメリカの代表的なマルクス主義経済学者であり、その著『独占資本』(Monopoly Capital)で、彼らの企図したことは、「経済的余剰」(Economic surplus)の概念を中心として、独占資本主義の構造と、その運動法則を明らかにすることであった。

(注18)ジャン・G・タルド(Jean Gabriel  de Tarde)(1843-1904年)フランスのデュルケームとともに、近代社会学の代表的社会学者。その『模倣の法則』(1890)は、つとに有名である。タルドは『世論と群衆』(1901)の中で、ル・ボンの言う群衆は、過去の社会集団でしかなく、現代は公衆の時代であることを主張した。

(注19)ル・ボン(Gustave Le Bon 1841-1931)フランスの思想家、社会心理学者。1895年『群衆心理』を発表する。彼は大衆の行動を研究し、群衆に集団心の存在を認め、群衆の非合法性、および個人におよぼす強圧性などを強調した。ル・ボンの「群衆」、タルドの「公衆」との間には、本質的差異はみられず、その構成員の意識そのものは、近代化されていないもので、両者とも「過去」の集団といえる。

(注20)評論家津村喬が、『放送批評』9・10月合併号(放送批評懇談会)の「CM時評 電力CMと少年漫画」で言った言葉(P71) 1978年

(注21)土居健郎 東京大学医学部教授 医学博士。日本社会にみられる特徴的現実を「甘え」の心理から、分析した日本文化論として『甘えの構造』は、高く評価されている。

(注22)川上宏は『企業競争と広告』初版 オリオン出版(1970)の中で「第6章 公共広告・意見広告とアメリカ社会」(PP87ー97)で、「公共広告」を、「豊かな国アメリカの極めてアメリカ的な広告」として規定している。

(注23)この数字は、抜刷『広告科学』(第2集) 日本広告学会「共同研究 "公共広告"」の「第1章 総論 公共広告の意義と概観」(中農昌三)P7より引用

(注24)反対派は、ピープル・バイセンテニアル・コミッション(人民200年委員会)のジレミィ・リフキン、チャールズ・ヘル・ウルフなどで、ACのキャンペーンに対抗して、問題提起を行いたいと主張している。アメリカの3大ネットワークは、この反対派から「対抗広告」が持ち込まれることを恐れ、ACのスポットを一時、不採用とした。その後、’76年8月に入りNBCがオン・エアに踏み切り、ABCは内容を検討中で、CBSは改訂版を要求している。(抜刷『広告科学』第二集 日本広告学会 植條則夫「現代の公共広告を考える」PP56-57)

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