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1997年のメディア事情(2) ニュース執筆に工夫を

1996-99年に勤め先の職場で回覧していたエッセイです。当時のメディア事情を伝えています。その後、予想以上のテンポでデジタル化が進みますが、「変わるもの、変わらないもの」が見えます。記事は当時のままです。


▼ボイスメール  (1997.9)


米紙シカゴ・トリビューンの人気コラムニスト、メアリ・シュミックさんは、一日に数回、自分自身の電話番号に電話をかける。自分あてのボイスメールのメッセージをチェックするためだ。 
 
署名入りで政治や経済、世相を自由に切りまくるシュミックさんは、週に三回、コラムを書かなければならず、頭の中はいつも次の原稿のことでいっぱい。
 
取材先から頻繁に電話がかかるが、取り次いでくれる秘書もいなければ同僚もいない。すべて一人で対応しなければならない。「いつかかってくるか分からない電話のために、一日がつぶれることがよくあった。ボイスメールを導入してから、電話に振り回されることがなくなった」と語る。 
 
ボイスメールは、留守番電話をもっと便利にした「多機能電話」システム。電話で送られてくる音声メッセージは、電話会社のホストコンピューターに録音、保存される。留守電と違い、デジタル方式なので、メッセージの取り出しや転送がきわめてスムーズにできる。
 
また、留守電はたいていスピーカー方式だ。再生時には、その場にいる人に聞こえる。しかし、ボイスメールは受話器で聞くので、自分以外には聞 こえない。ポケット・ベルや携帯電話と連動して、メッセージの受信をリアルタイムで知ることもできる。 
 
電子メール同様に、「発信側も受信側も、時間や場所にとらわれないコミュニケーションが可能」な点がボイスメールの最大の特徴だ。
 
「いくら電話しても話し中。つながったと思ったら、外出したところ」
「電話をもらった時は、こちらが打ち合わせ中」
「ある電話を待っていたため、同僚のランチの誘いを断った」
「帰宅する寸前につながったが、頭の中は完全にプライベート・モードになっていた」
 
確かに、電話のやりとりで、一日が暮れることもしばしばある。 
日本でも、電子メールは急速にビジネスの世界で利用されているが、一人一台の割でパソコンを持つ必要があり、だれもが使えるというわけにいかない。米国では、電子メールよりも先に、ボイスメール・システムが普及した。デジタル対応の電話機があれば、すぐに導入できるからだ。従業員五百人以上の企業のうち八割が採用している。 
 
ただ、ボイスメールを円滑に機能させるには、「急ぎの電話を待っている時以外は、呼び出し音が鳴っていても受話器をとらない」「簡潔なメッセージを残すことを前提に、電話をかける」など新しい電話作法に慣れる必要もあそうだ。 
(了)
 
 

▼インターネットの勝利  (1997.10)


「投獄がかかった裁判に勝てたのは、インターネットで世論が味方してくれたからです」。
 
こう話すのは、中国系米国人記者のイング・チャンさん。 
 
昨年の米大統領選で、台湾の与党幹部が献金を申し出た、とすっぱ抜いたところ、異議を唱える同党から訴えられた。台北の裁判所はことし四月、「報道には悪意が認められない」として無罪判決を下した。 
 
ニューヨーク・デーリー・ニューズ紙の社会部記者だったチャンさんが地元の台湾人記者と連名で「国民党の幹部が、千五百万ドルをクリントン大統領に選挙資金として提供すると申し出た」という特ダネを香港の雑誌に寄稿したのは昨年十月。 
 
取材の過程で、同幹部は「君らの言っていることは事実無根だ。本当に記事にするのか」と脅し続け、雑誌が発売されると、名誉棄損などの罪(最高二年の刑)で、チャンさんら二人と雑誌社を相手取って訴訟を起こした。 
 
「友人の台湾人記者は今にも連行されそうだった。米国にいて、どうしようかと不安でした」と当時の心境を打ち明ける。チャンさんは香港生まれで、 在米二十数年。大学生二人の息子の母親でもある。 
 
「お金も権力もない私が持っていたのは、事実を裏付ける情報と初歩的なインターネット技術だけ」技術だけ」。
 
息子に手伝ってもらって、すぐにホームページを立ち上げ、事件についての報道や台湾当局とのやりとりのほか、李登輝総統あての公開質問状を世界に向けて発信した。 
 
次に、自分の友人知人をはじめ、報道機関や関係団体に、このウェブ・サイトを見るよう電子メールで呼び掛けた。「金と手間のかかるコピー機や郵便は使わなかった」。
 
すぐに反応があった。
 
賛同を示す署名リストは日ごとに増え、「ニューヨーク弁護士協会」などの支援グループがいくつも形成されると同時に、ニューヨーク・タイムズ紙など米国各紙がチャンさん擁護のキャンペーンを張った。一方、台湾でも二人の記者を支持する世論が盛り上がった。 
 
「無罪判決は、言論の自由と台湾の民主主義の勝利を意味するが、インターネットの勝利でもあるのです」とチャンさん。ネットの利点について、国境や時差を越えた共同体が作れたことを挙げる。
 
「励ましの電子メールが来ない日はなかった。ネットにアクセスしている限り、私は決して孤独ではなかったのです」 
(了)
 

▼AP通信の記事改革 (1997.11)


あの世に行って黄金に輝く門に立った時、私が最初に会うのはAP通信の記者に違いないーー。
 
AP通信社の取材網に対するこの最大級の賛辞はインド独立の父、マハトマ・ガンジーの口から出た。一九三〇年代、再三の投獄を余儀なくされた首相が釈放されたある夜、人里離れた駅で一人待ち構えていたAPの記者に語ったという。 
 
来年に創立百五十周年を迎えるAP通信は、世界七十一カ国、二百三十七支局(米国を含む)と圧倒的な取材網を誇ると同時に、記事のスタイルや中立性、速報性の点で、世界のジャーナリズムの規範とされてきた。しかし、メディアの統廃合が進み、電子メディアやケーブルテレビが興隆するなど「急速な状況の変化」から、取材の仕方や記事スタイルの大幅見直しを進めている。
 
「読みごたえのある」記事を読者に提供することを目指し、加盟社AP離れを防ぐのが大きな狙い。アヒアン副社長は「AP電は退屈という神話を打ち砕く」と報道専門誌アメリカン・ジャーナリズム・レビューに語っている。「読ませる」「奥行きのある」「他の記事と関係性の高い」記事の配信に力を入れ始めたという。 
 
記事スタイルを刷新するため外部からスカウトされたキング編集研修部長は「大切なのは、それぞれの記事には、内容にふさわしいスタイルがあることに記者が気付くこと」と話している。
 
具体的には、記者が一人称「私」を使って執筆するルポルタージュを認めたり、形がい化していると批判の多いリード部分の「政府発表によると」とか「…と警察は今日発表した」というニュースソースの記述を省略することも検討している。
 
同時に、調査報道を重視する方針を打ち出した。
 
「テキサス州の高校のフットボールコーチの給料は一般の高校教師より最低七五パーセントも多い」
「ミシガン州のギャンブル業界で収支が合っていない」
「ケンタッキー州のトラック業者が、積載超過を知りながら、トラックを走らせ、道路を損傷させた」
 
など、全米で好評を博した一連の報道は、同社の新方針の表れという。
 
記録性を重視する通信社ゆえの「雑報」処理のルーティーンも減った。
 
社歴十六年のドリンカード記者(連邦議会担当)は「これまで記事を書かない日は一日もなかったが、今は数日間書かないことがある。余裕ができたため、一本一本の記事をどう書くか、その都度工夫するようになった」と同誌に語っている。 
(了)
 

▼南アの経済ウェブサイト  (1997.12)

南アフリカ共和国の経済ニュース専門ウェブサイト「WOZA(ウォ・ザ)」が好業績を上げている。たった二人で開設し、一年で百万ランド(一ランドは約二十五円)の収益を得た。
 
「インターネット上で金をもうけるのは至難の業」とされるだけに各国のメディアが注目している。 
 
ヨハネスブルクの有力経済紙の編集者だったケビン・デイビさんが、このサイトを立ち上げたのは昨年十月。経済ジャーナリストとして、デイビさんはデジタル情報技術に興味を持っていたが、勤務先と雇用条件をめぐりトラブルになり、独立を決心。夫人のルシルさんと二人でWOZAwww.woza.co.za)をスタートさせた。
 
WOはズールー語で「ようこそ」を、ZAはネット上で南アを意味する。「デジタル時代の情報環境では、大きな組織は要らない。記事内容が良ければ、実績がなくても数百万の読者にアピールできる。
 
南アは情報インフラが整っており、オンライン新聞の可能性には疑いを持っていなかった」とデイビさんは話す。 
 
収益を確保するため、証券会社と提携し、南アで初めて、オンライン上で株の取引ができる自前の金融商品を開発した。取引ごとに手数料が自動的に入ってくる。
 
また、ユーザーが増えるに従って、広告収入も着実に伸びた。 
「電子メディアの世界では、いろいろな意味で制限がない。その気になれば銀行が出版事業を、スーパーマーケットが金融ビジネスを始められる」 
 
パソコンと簡単な周辺機器があれば、人件費以外のコストはほとんどかからず、月々の固定経費は「電話代だけ」電子メディアでの成功の秘訣として3点を挙げた。
 
1.  パソコンのソフトウエアを十分使いこなせること
2.  他の人にない自前の情報を持っていること
3.  臨機応変に、他のサイトにリンクを張る努力を怠らないこと
 
「ジャーナリズムの世界で学んだことも生かせる。あらゆる価値が交錯するサイバースペースでは、相反する利害をどうやって克服するかが大切。あいまいな態度では、広大な情報空間に埋没してしまう」と付け加えた。 
 
創立二年目の利益を数百万ランドと見込む。「電子メディア・ビジネスの将来は明るい。しかし、競争が激しいのも事実。ライバル会社が、わずか四万ランドで、類似事業を始めてしまう事実を忘れてはいけない」 
 
(了)

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