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階下から聴こえるギターの音色⑨(中編)結局は、小さな世界

前編はこちらからご覧いただけます。

『中学生から知りたいウクライナのこと』
(2022年/ミシマ社)の
共著者であるおふたりによるトーク
”小山哲・藤原辰史
「中学生から知りたいウクライナのこと
 ――侵攻から2年が経って」”

に参加し視聴したのは2月の終り。

それで一番思うのは、
ウクライナやパレスチナのこと以前に、
テレビで見た飢えでやせ細った子どもと
自分の暮らしが
無関係ではないことを
子どもの頃こそ知っていたもの
ではないだろうか、ということ。

胸の痛みがずっと、そのことを
教えてくれていたから__


長くなったので3回に分けて投稿します

トーク冒頭、
本に掲載されている「はじめに」が
読み上げられました。

歴史が繰り返してきた重要な問題のひとつは、例えば日本のような戦場から離れた国に住む人々の当事者意識の減退と関心の低下、そして倦怠ではないか。つまり胸の痛みが持続しないことではないか、ということです。
本書の執筆者はどちらも歴史を生業とする者です。歴史を研究する職種の資格は忘れない執念、ただひとつだとわたしは信じています。

『中学生から知りたいウクライナのこと』はじめに/藤原辰史

アーカイブ視聴があり
期限内何度でも見直したいのですが
改めて小山先生の冒頭のおはなしに
ハッとさせられています。

ヨーロッパの地域にある
このふたつの”境界域”で起きる戦争は
単に同時に進行しているだけではなく
複雑に結び合って起きていて
メディアでもそのように
語られることも多いけれども

典型的な見方としては
現在存在する国際的な同盟関係
あるいは対立関係に結び付けて
見る見方だろうと。
国家の外交レベルにむすびつけて見て
語られたり審議されることが多いと。

一方、国際関係論ではなく
歴史学が専門の立場だからこそ
見ることのできる角度があって

歴史学の場合は、
「時間の尺度が長い」こと
今現在の同盟関係のなかで見るのではなく
いろいろな時間の幅をとりながら
問題の原因を考える分野だからだと。

さらに、その立場からすると
時間の捉え方、空間の捉え方に
現在メディアで行われている説明では
問題があると思っている。
あまり短い尺度で時間の捉えで見ると、
歴史的な文脈が見えず
物事の本質が捉えられなくなり
それはとても問題なのだ、と。
そのようなお話がありました。

ああ! そうかとわたしは思ったのです。

何を事実だとするかは
それぞれがなにに拠るかで
違うこともあるかもしれない。

大人になるにつれて
何を青臭いことを、と
非難されることが恐ろしく
口をつむいでしまうのは
まさにそのようなことからでした。

でも「小さな世界」のように
after all,”結局は",世界はひとつと
まっすぐに歌うのは、
いのち本来の時の流れに立てばこそ。

後編に続く

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