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年末年越心中

 なにが年の瀬かと、悪態の一つもつきたくなる。
 勝手に暦なんてもので一年をくくり、さぁ早く次の年へと迎えといわんばかりにごんごん寺の鐘をつき始められようものなら、めっきり憂鬱になってくる。
 なんとはなしに侘しいのだ。寂しいのだ。
 だから私は年の瀬なんて嫌いである。親しい人との別れ際と同じくらい嫌いである。
 降り積もる雪がどこまでも白く白く積もりに積もり、年の瀬どころかこの世界をすっぽりと雪で覆い尽くしてしまえば、静寂なる世の終焉を迎えられるのでは、なんてことをこたつに半身を突っ込んで、ありがたい御酒の注がれたお猪口を片手に妄想していられるのも、まぁこれも一つの無聊ゆえの年の瀬の迎え方であると言えよう。
「センセ、昼間っからうまそうに酒なんぞ舐めちゃあいるけれどね。私ばっかりを働かせてさぞいいご身分だ。根っから徳が低くて魂魄下劣なセンセがいつからそんなに偉くなったんだい?」
 浅き酔いの心地に身を浸している僕に向かって、なにやらキャンキャンと吠え立てるようにそんなことを言ってくるのは決まって此奴だ。
 学帽学ランに身を包んでは居るものの、どこの学生だかてんでわからぬ天麩羅学生。
 故あって我が家に下宿している白面の青年、天麩羅君である。
 狐面でも被っているかのような釣り上がった目が、今日はいつにもまして傾斜を増している。
 はて、天麩羅君は朝から年越しの大掃除をしていたのではなかっただろうか。
 掃除の最中になにか癪に触ることでもあったろうか。
「癪に触っているのはセンセの今の状態だよ。私がせっせと掃除に励んでる間に、のそっと寝床から起きたかと思えばこたつに潜り込んで熱燗なんて呑んでやがる」
「僕はそろそろ湯豆腐が怖いね」
「熱々の湯豆腐を今すぐその丘に上がった海亀のような顔に乗せてやりたい」
 この僕の得も言われぬ人相に向かってなんていう例えをしてくれよう。
 君など木の葉で化けそこねた狐の化身のような顔をしている癖に。
「そもそも僕は年の瀬だからといってはりきって掃除やら餅をつくやらしとうはないのだ。世の勢いに流されて浮かれているようじゃあないか。滑稽だよ、君」
「ほんの数日前まで枕元に赤い靴下吊るしていた男の台詞とは思えないな。ありゃ相当に浮かれて見えたよ。滑稽の極みとも言えた。滑稽すぎて、ある朝、その靴下に拾ってきた木彫りの熊を入れてしまったのは実は私だ」
「なんてことをしてくれた!」
 小生、とても傷ついた。
 あの木彫りの熊こそ、巷に噂される赤い衣の怪人を実在たらしめる証拠だと信じていたのに。
 いや、かの怪人はいる。いるんだもの。
「そんな硝子玉のような目で私を見られても困る。というかセンセ、家の掃除は私がやったので良しとして。買い出しくらいは手伝って欲しいものだね」
「なにを買うのだ? 門松だったら要らないよ、あれは煮ても焼いても食えないからね」
「じゃあ、煮ても焼いても食べられるものを買い出しするとしよう。ほら、いつもならばここらで心中旅に出かけるところだろうけど、忙しい年の瀬だ。心中なんてしている場合じゃない」
 そう言って、天麩羅君は黒トンビをさっと羽織ると僕を雪降る町へと連れ出した。
 こんな寒い時に出歩きたくはないけれど、僕は防寒の為に幾ばくかの酒を嗜んでいる為に体の芯まで冷えることはない。
 北国で酒がよく呑まれるようになったのには防寒と保温に都合が良いからであるらしい、理に適っている。この科学的な理論はかの日本書紀にも記されているので、興味がある方は一読してみるのがよかろう。
 さて、買い出しと天麩羅君は言った。
 年の瀬の買い出しというからには、正月のおせち料理の材料でも買い求めるのが世の常である。
 さりとて、僕が住む北国にはおせちとは別の変わった慣わしがあるのだ。
「どちらかと言えば元旦より大晦日、そこが重要なのだよセンセ」
 訳知り顔で天麩羅君が言っていることは間違いではない。
 この北国では元旦のおせちよりもむしろ大晦日のご馳走こそが醍醐味なのだ。
 おせちなど、大晦日のご馳走の余りをちびちび摘んでいればそれでいい、とまで言われる程だ。
「そうは言ってもだな。僕は根っからこの土地の生まれではない。大晦日だっていつも独りぼっちだ。いざ出かけたところでなにを用意すればいいのだ?」
「そりゃご馳走をすべてさ。天麩羅にしゃぶしゃぶにお寿司にお刺身、ウニや海老や蟹や牡蠣だって一同に介するんだ」
「じゃあ年越しそばは?」
「もちろん食べるとも、ご馳走と一緒に」
 食べ過ぎである。
 なにをそう躍起になってご馳走を食べ尽くそうとしているのかは知らないが、竜宮城に招かれた浦島太郎とてそれほどまでの美食を食べ尽くしてはいないであろう。
 けれどもそれがこの土地の流儀であるらしい。
 大晦日には食べきれないご馳走を食べて温かい我が家で年越しを迎える。
 ならば僕も天麩羅君と共にそんな年越しを迎えてみるのも良い気がしてきた。
「それに口取り菓子も忘れずに」
「はて、それはなんぞ?」
「口取り菓子を知らないのかい、センセ。まったく物知らぬ愚民とはセンセのことだね、無知蒙昧も大概にしないと罪だぜ?」
「ちょいと僕より多くものを知っていたくらいでひどい言い様だな。君とて人界万里の事情をあまねく知り尽くしているわけでもあるまいに」
「私は私が知っておかねばならぬことしか知らないね。それで言うとセンセは知っておかねばならぬことはことごとく頭から抜け落ちていると見える。その目の荒いザルのようなおつむの中に口取り菓子がどういうものか留めておくといいよ」
 天麩羅君がご大層に教えてくれた正月の口取り菓子とは、おせち料理を白あんなんかで真似た菓子のことのようだ。そいつをご馳走と一緒に食卓に並べる家もあれば、わざわざ神棚に供える家もあるらしい。
 要は縁起物の菓子だというだけだ。偉そうに講釈を垂れる程のものではない。
「そいつはなんだ……和菓子でないと駄目なのか? 僕は白あんは苦手なのだぜ」
「そう言うと思って今年の口取り菓子は六花亭のマルセイバターケーキにしておいたよ。あれはセンセの好物だったろ」
「君は時折、優しいのだな」
 タイやらエビやらをかたどったよくわからぬ口取り菓子よりも、マルセイバターケーキの方が絶対に美味しいのである。
 というか、もはやケーキだろうがなんだろうがお菓子ならなんでも良いというなら、僕は苺の乗ったショートケーキが良かった。数日前の某生誕祭の折に食べそこねて悔しい思いをしたばかりなのだ。
 北国の大晦日について天麩羅大先生より大層なご講義を受けている間に、僕は汽車にごとごと揺られて、江別市の高砂駅の近くにある向ヶ丘までやってきていた。
 思えば遠くに来たものだ、とは言えない程のいつもの旅よりかは近場である。たった十分かそこら汽車に乗っていただけだ。
 向ヶ丘の一角には、一見見過ごしそうになるけれどよく見れば営業している一軒のさしみ屋がある。

『大衆さしみ屋佐賀山』

 猛吹雪の際には店ごと雪に埋もれそうな小さな店の軒先には「大安売り」ののぼりが立っている。
 ここが天麩羅君の目的地だったようだ。
 なぜこんなところにさしみ屋が? と疑問に思っていると天麩羅君はさっさと店の中に入ってしまう。
 彼は元来財布というものを持った試しのない男なのに、なぜそう堂々と店舗に侵入出来るのかその心境が甚だわからぬ。
 僕も彼について店に入ると、なるほどさしみ屋である。
 鮭にホタテにイカにマグロに、さしみの柵がみっしりと並べられている。
 さしみの並べられた台の向こうには店のご主人と女将ともう一人女将が居る。
 女将の数がご主人の数と揃っていないと思ったが、別段ご主人と女将はすべからくつがいである必要もないので数が揃わなくても大丈夫。ほっと一安心ついたところでさしみを物色してみよう。
「僕は昨今、ようやく生の魚を食べられるようにはなったというものの生臭い匂いが嫌いだ。よって魚屋の軒先なんてぞっとしないのだよ、天麩羅君」
「黙っていてください、気が散るでしょう」
 本マグロの柵の塊を物色している天麩羅君にぴしゃりと言われた。
 なんという失態、天麩羅君がかまってくれないじゃないか。これはまずい。好物のタコのさしみを買い求めたい旨、なんとしてでも天麩羅君に検討してもらわねばならぬというのに。
「この店は頼めば人数分のさしみの盛り合わせを作ってくれるのさ」
 なんて言って天麩羅君はご主人となにやら話込んでいる。
 隣で聞いていれば、好きなさしみの種類があればそれを多めに入れるだの、嫌いなものがあるならはぶくだの言っている。
 だからタコなのだ。
 タコのさしみをぜひとも入れて欲しいのだけれど、天麩羅君にぴしゃりと黙っていろと言われた手前なにも言えぬ。くやしい。
「……それと、たしかセンセはタコがお好きだったような。それも盛り合わせに加えてもらえるかな」
 狐の目でちらりと天麩羅君がこちらを見て、ご主人に口添えしている。
 僕は嬉しさのあまりこの場で膝をついてうぉんうぉんと泣いてしまいそうだった。
「まったく食べたいものがあれば言えばいいだろう、いい大人なんだから」
「いい大人を最初に叱ったのは君だ。君が悪い」
「はんっ」
 鼻で笑わうと、天麩羅君はくいと女将を顎で指した。つまりは僕が女将に金を払えと言うのである。本当にこやつは無銭で世を渡り歩くのがうまい奴だ。
 そうして無事にさしみの盛り合わせを包んでもらった僕が店の外へと出ると、恐ろしいまでに冷え込んでいた。
 北国の年の瀬である。氷点下まで気温が下がるのはよくあること。
 したところで、家から仕込んできた防寒対策であるところの酒の効果がきれてきたようだ。
「天麩羅君、せっかく江別に来たのだから地酒のおおつに寄ってみないかい? あそこでしか手に入らない地酒が見つかるかもしれない」
「よいね。松の内はセンセの酔いを覚まさないよう買い込まなければ。しかし、寒いものは寒い。酒を買い込んだらちょっと早いが年越しそばを食べに行かないか?」
「そばか。このあたりにうまいところがあるのかい?」
「鳥モツそばを出す旨い店がある」
 ほぉ、鳥モツそばか。美唄あたりでは焼き鳥といえばキンカンと呼ばれる鳥モツを出しており、鳥モツそばもそれと同様、キンカン入りのそばである。キンカンとは鶏の体内にて作られる殻が出来る前の卵を指す。黄身の部分が金柑に煮ている為にそう呼ばれているそうだ。
 鳥モツそばは美唄だけでなく旭川の辺りで食されていたり、岩見沢でも出している店があったりとどこが鳥モツそばの発祥なのか僕にもよくわからぬ。
 ただそんなことを天麩羅君に話せばまたぞろ鼻で笑われ聞きかじった知識をひけらかされそうなのでここは黙っておくことにする。
「それでその鳥モツそばのうまい店とはどこにあるんだ?」
「豊平にある手打ちそば処叶庵だ。熱々の鳥モツそばを食べるならあそこだ」
 絶句であった。
 僕達が今居る江別市と件のそば屋があるという札幌市豊平区の距離感は、言うなれば十万億土の彼方と同義であろう。この吹雪の中行けばまさしく必死。
 この男なにを言い出すのかと思っていると、天麩羅君はにひひと笑った。
「いいだろう、センセ。これは私とセンセの旅ってものだ。鳥モツそばを食べに叶庵に行く、一旦家に帰ったっていいし、到着するのが来年になろうと構わない。いつか行けたらいいのにと願っておくのさ、それがセンセとの旅なのだよ」
「そういうことか。けどずっと先のそばより、僕は今目の前に本物のそばが欲しいな。でなきゃ凍えちまうよ」
「そうかい。じゃあセンセの為にふらりとそば屋でも探すとしよう。その地酒の店に行きがてらね」
 天麩羅君は僕を先導するように歩き出した。
 ざくざくと雪道を踏みしめる革靴の音が二人分。
 歩く先にあるのは酒と肴と今年の終わり。
 終わりの先にまた心中旅行が始まるのかは、来年の僕が決めること。今年の僕にはもう知らん。
 あぁ、そうだ。
 一つ忘れていたっけか。
 僕は鳥モツ、苦手だったなぁ。

                             おわり 

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