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重複、相殺、ことばと世相

ことばは生き物

「なんでこんな読み方をするのだろう?」と思う不思議な読み方は多い。そして、少々もめ事のネタだったりすることもある。端的に言えば言葉は生き物であり、話者によって再定義されていく。世相が違えば意味は異なる。世代が変われば読み方が変わる。
それなりに年を重ねたものとしては気持ちが悪いこともあるのだけれども、若い人もきっと気持ち悪いと思っている。ことばはなぜ変わるのか、そんなことを少しひもとければと思っている。

「ご丁寧に」

個人的に経験した中で最も戸惑ったのは「ご丁寧に」ということばの使い方。私がまだピチピチの20代だった頃、「ご丁寧に」は使い方にちょっと注意を要することばだった。私の狭い範囲での経験で恐縮だが、私の先輩方は「丁寧に〜」を褒める意味で使っていらっしゃった一方、「ご丁寧に〜してくれる」という言い方は「余計なことをしてくれて」とか「出しゃばりやがって」という強烈な皮肉の意味があった。このあたりのニュアンスについて、NHK放送文化研究所の方がまとめてくださっている。(「丁寧に」?「ご丁寧に」?

最近、感謝の意味で「ご丁寧に〜していただいてありがとうございます」という連絡をいただくと「多少はお役に立てたか」とうれしい反面、正直申し上げると毎回少しばかりの違和感を持っている。私も自分に甘い方だと思うけれども、寄る年波なのかもしれない。

重複と相殺

重複と相殺、施工あたりは読み方で少々もめそうな代表だ。
たまたま私の使っているパソコンでは広辞苑の第7版を使えるので、さらっと調べてみた。

・重複

重複は子供の頃に「ちょうふく」と習った。
現在の広辞苑では、「じゅうふく」が先に出てくる。

・相殺

相殺は「そうさい」とならい今でもこの読み方が第1候補。
「そうさつ」は「慣用読み」とされている。

・施工

施工は「せこう」だとばかり思っていたが、「しこう」とも読むという。どちらが慣用読みという記載がないので、割と両方の読み方が通っているのだろう。

ことばが変わるわけ

書き言葉から話し言葉がかけ離れていく

日本語の場合、「文語」から「口語」に変わったときに、話し言葉あわせて書き言葉を変える試みを行った。文語の「てふてふ」が今の「ちょうちょう」になっているのがその一例である。

ことばは長い間に発音が変わっていく。読みづらいから発音されない、寒いからはっきりと発音しない、そんなことばが多くある。長い長い時間には、書かれた文章から読みが想像できないほど読み方がかけ離れていく。

例えば、共和制ローマを生きた政治家・弁護士の Cicero は一般には「キケロ」だが、その子孫のはずのイタリア語では、「チーチェロ」のように発音する。

日本語でも、「〜が」という時の「が」は鼻濁音だったが、今はあまり区別をしなくなっている。(流石のNHKさん、「鼻濁音は消えるのか」の記事をまとめてくださっています。)

一方、英語のように、日本語のひらがなやカタカナのような表音文字がない言語の場合、同じ音に対する書き方を整理する過程で読みにくくなったり音が落ちたりして変わる例もある。(Wikipedia: 正書法

流行る言葉・廃る言葉

ことばは生き物だ。

新しい言葉が生まれ、流行り、廃れる。
古くさかったり、懐かしかったり。
借りてこられる言葉もある。
そして、思いがけず皆が使い続ける言葉になったりする。

あなたが放った言葉もあなたが生きるより長生きするかもしれない。
あなたが生きた証として。

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