コロナ禍が原因で不登校になった子供たち
コロナ禍が終わっても後遺症は続いている
不登校の子供たちは年々増えている
不登校児、過去最高の24万人
現在、小学校、中学校とクラスで3人位の不登校の子がいるという。
関わりがなければ <ふーん。そうなんだ>と他人事だろう。
実際、不登校は家庭の問題となっており、激務の担任が個々で対応するのが
難しいのが現実だ。
そう、学校は静観している。
お友達も小学校で不登校になり、中学で登校できてもまた不登校だという。
コロナの時は、各自で配られたタブレットを持ち帰り、オンラインで課題を
するという事だったが、全く意味がなかったと子供は言う。
小学校と高校の子供たちは、ロイロノートを使って連絡は取っていたが、オンライン授業はせず、年間カリキュラムの中の単元は消化された事になっていた。
課題やプリントなどの宿題は出ていた。
が、そんなやり方で子供たちは勉強することなく、きっとその部分はぽっかりと空いた状態になっているのだろう。
いくら勉強が遅れたとしても塾と違って、学校には補習がない。
学校というのは一律に座らせて勉強させる所だが、いきなりその縛りがなくなり、家にいて自主性にまかせると言われると、どんな子でもゲームをして遊んでしまうだろう。
まだ小学生だと、勉強面は親が教えることができるが、学校は社会性を学ぶ場でもある。この大事な時期に社会性、協調性を身につけることができなかったとなると、その後の人生において、生きていくのがつらいときがくるかもしれない。
不登校児の受け入れとして、フリースクールや通信制高校が挙げられる。
最近では仮想空間で作った学校もできていて、すでに稼働しているという。
うちの場合は、小、中の義務教育は普通に学校に通っていた。
高2で2人とも通えなくなったわけだが、長男はその後予備校を経て、大学に入学した年に、コロナ禍になった。そして再度不登校になった。
ギフテッドの3割は不登校傾向
ギフテッドの定義とはなんだろうか?
発達障害の子を持つ親なら <うちの子はギフテッド?>
と一度は考えたことがあるだろう。
メンサ会員とギフテッド
メンサ会員になれるのが、IQ130以上というから、メンサ会員=ギフテッドと考えていいのだろうか?
最近ではチャンカワイさんの6歳の娘さんがメンサ会員になったというニュースを見た。パズルが得意らしい。
うちの子たちも、知能検査(WAIS-Ⅲ)を受けた。長男は惜しくも届かず。
今は最新WAIS−Ⅵだそうだ。
上は処理速度が127あったが、作動記憶が90と異常に低く、平均して120だった。
WAIS-は発達障害で困り事がある人が受けるテストだ。
このテストにより、発達障害の特性がより細かく分かる。
メンサ会員の判定もこのテストが使われているというが、もし130あればギフテッドとして優遇されることもあるのだろうか?
先日、アメリカで行われている「ギフテッド教育」を日本でも取り入れる方向という文部科学省の発表があった。
ギフテッドは3割は不登校傾向といえば聞こえはいいが、私の経験でも、発達障害を持っている子が、不登校になりやすいと言えると思う。
そう聞こえてくる。裏を返すと、ギフテッドの7割は各自で勉強をし、高学歴の環境ですでに得意なことに励んでいるのではないか。
必ずともギフテッド=発達障害ではない。
<何をやってもうまくいかない>
<もしかして発達障害かも>
となり<実は発達障害だった>
となるので、大半のギフテッドの人は困っていないのではないかと思う。
だから、ギフテッドに限定するのはやめてほしい。
確かに伝記になるような人は、幼少時代は困った子供だった事が多いが、本人の力で成功している。
話は戻って、先ほどの知能検査はギフティッドかどうかを調べるテストではない。自分の得意、不得意を数値で知るテストだ。
発達障害の判定は、この数値の凸凹の差が大きいほど重度で困りごとが多いという事を示しているのだ。
不登校の原因
政府は早急に発達障害児、不登校児の支援をしてほしい。
コロナ以降不登校が増えたのは、
自宅で勉強ができなかった(勉強の遅れ)
協調性を養うことができなかった(コミュニケーション能力の欠如)
スマホゲームの誘惑
昼夜逆転生活
それでスマホゲームやSNSにはまってしまったと考えられる。
対策として、
<スマホを取り上げる>
<スマホのキツイ制限をかける>
<お小遣いをあげない>
は一番やってはいけないことだった。
親としてはゲームをやめてほしい一心だったのだが、
暴れて、スマホやモノを壊す、たたく、壁を破るで大変だった。
私達親も家に獰猛な猛獣をかかえている状態だったので、自分の趣味を楽しむ余裕はおろか、何を言っても聞かないし、八方塞がりだった。
何もやる気がしなくなり、私は完全にカサンドラ症候群になった、
この状態だと外に連れ出すことも、通信制に転校することも難しかった。
こういう時に、介護のデーサービスのように連れ出してくれないか、
どこか寮制の施設で引き受けてくれないかと思った。
小学生なら放課後きっずに入れたり、療育センターに相談できるが、
限りなく大人に近い年齢になると助けてくれる受け皿がないのが実情なのだ。
まとめ
我が家はもう、中学生の長女以外学校に行っていない。
不登校の時は毎日の学校連絡が辛かったが、無くなった今は気持ちの面では
楽になった。と思えたが、社会とのつながりが絶たれて、就職できるのか不安だ。
改めて高校は義務教育ではないけれど、独り立ちに近い一番大事な時期だったのだと思う。
学校に行かなくても大丈夫と言えればどれだけ楽だったか。
日本のシステムでは中卒までは保証されている。
小、中と不登校でもその先もなんとかなるようなシステムがあれば、そんなに不登校でも悩むことはないのかもしれない。
発達障害の子がのびのびできるような『窓ぎわのトットちゃん』のトモエ学園が今でもあれば、発達障害を個性と受け入れてもらい、居場所も見つけて親も子も救われた気持ちになっただろう。
今回は発達障害を考えるシリーズでした。
このテーマは私のライフワークとして続けていくつもりです。
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