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モンテッソーリ教具ではなく、モンテッソーリの教育観に共感

 学ぶ主体は学習者であり、学習者には自らを教育する力(自己教育力)があり、それを助けるのが教育者の仕事である、という私の教育観が確立したのは、24歳のころにマリア・モンテッソーリの考えに出会ったときであった。
 そのおかげで私は、教育学という研究分野から逃げないで済んだ。
 そのとき私の中で確立した教育観は、教育は学習支援でなければならず、学習支援であってこそ教育は存在価値があるのだというものであった。そしてそれは、それから半世紀余り過ぎた今も変わらない。
 そして今、また、モンテッソーリの著書の英語訳とその原本に相当するイタリア語版とその日本語訳とをテキストにして学習会をしている。
 そこで私が求めようとしているのは、あの高価な教具を使うことではない。
 モンテッソーリが開発したものは教具だけではない。私がマリア・モンテッソーリから学びたい第一のものは、モンテッソーリ教具ではなく、モンテッソーリが明らかにした子供観、学習観、学習支援観であり、学習支援者は子どもに対してどうあるべきかである。
 教具を使う場合でも、モンテッソーリが発見した発達や学習や学習支援の原理に学んで、自然の中にある素材や身近な素材を活用したり、手作りしたりすることができるのではないだろうか。

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