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カツカレー、五稜郭、展望台、思い出はプライスレス。函館のこと 〜 思い出✖︎音楽 「グロリアス」 GLAY

函館のこと

出身が道南の田舎町でしたので、道南の端に位置する函館は、とっても身近な街でした。

家族でちょっと気晴らしに行くのにもちょうどよい場所でしたし、部活の遠征先や大会も函館が多かった。

というわけで、僕にとっての身近な街、函館の、遠い日の思い出について語ってみようと思います。

函館、カツカレー

小さい時のことを思い出すとき、どんな風景が見えますか?

自然の風景かもしれないし、家族との会話かもしれません。

僕にとって、函館という街を思い出すとき、真っ先に浮かんでくるのは、カツカレーなんです。

そんな思い出を。

道南の地元から車で3時間くらいの距離に函館があります。朝8時くらいに出ると、ちょうどお昼前に到着、帰りは20時には家に到着できるため、小学生くらいの子を持つ家族には距離的にもとても良い場所だったのではないかと思います。

小学生時代、田舎には売っていない「おもちゃ」をこの街に求めておりましたので、必然的にそういうものを売っている場所が家族旅の中心となります。

当時はデパートでした。

具体的には「イトーヨーカドー」「長崎屋」が連なっていた地区と、「棒二森屋(通称ボーニ)」がある駅前地区。

この地区を、おもちゃを求めて、はしごするのがいつものルート。子供にとっては、おもちゃを探し求める栄光の日々。

その中に、遠い日の思い出があります。それは家族で過ごしたお昼の思い出です。

お昼の記憶はいつも「ボーニ」の食堂でした。いつも混んでいて、家族連ればかりで、みんな買ってもらったおもちゃの包みを抱えていて。子供心に、そこは幸せが充満している空間でした。

今振り返れば、どこにでもあるような食堂で、メニューもどこにでもあるようなもの。特別きれいな場所でもなくて。

そこで、いつも食べていたのがカツカレー。

おそらく、当時食べログが存在していたとして、TOP5000とかに入ることはないと思われるカツカレー。

でも、あの当時の家族旅の思い出の中ではTOP10に入るのが、この場所のカツカレーなんです。

味は記憶の中で美化されているかもしれません。ただ、思い出の中の、あのカツカレーの湯気の向こうに母や弟、今は亡き父の笑顔が見えるんです。

何の変哲もないカツカレーは、何の変哲も無いからこそ家族の思い出の一コマに収まることになりました。カツカレーは、家族旅の思い出と共に記憶されています。

今でも函館を訪れることがしばしばあります。

変わってしまった駅前の小洒落たレストランや、朝市の中の海鮮丼や、観光名所に様変わりした倉庫街にあるラッキーピエロなどよりも、食欲を刺激するもの。それはあの食堂の匂い。そしてカツカレー。

あの頃、ボーニには家族の思い出が溢れていました。永遠の日々、永遠の思い出。

まさに思い出はプライスレス。

函館、五稜郭

当時、年末時代劇を見るのが我が家の風物詩でした。ドラマは幕末がテーマで、つまり、京都や江戸、会津が舞台。試される大地からは遠いその地の出来事は、どこか別世界の架空の出来事のように思えていました。

しかし、ある年。ついに、あの場所をタイトルにした年末時代劇が登場します。

それは「五稜郭」。

函館に行くと、バス停やらなにやらで見聞きする「五稜郭」。ちょっと重めの体調不良を子供が訴えたときに行く病院は「五稜郭病院」。実際の「五稜郭」には、まだ行ったことがなかったですが、地名としては刷り込まれておりました。

そんな「五稜郭」を舞台に何が年末にあったのか。実際は五稜郭は戦場にはなっていません。

では何故タイトルが五稜郭??

五稜郭は5つの角をもつ星形の城塞。物語では、この星形を北極星に見立てていたんですね。

北の大地で最後まで官軍に抗った榎本武揚らの旧幕軍。戦乱の結果は、語るまでもないですが、榎本はその才能から戦後、千島樺太国境の交渉に臨むことになります。

北の大地のはるか先の北の彼方。当時の北の大地に似た荒涼としたシベリアの風景に彼はたたずむ。北を見上げれば北極星が見えていたに違いない。その北極星の彼方には、ともに戦い、ともに見果てぬ夢を見て、散っていった仲間がいる。その時、榎本の目に光るものがあった。彼はその地で何を思ったのだろうか。

過ぎ去りし、取り戻せないあの季節、取り戻せない栄光の日々を思ったのだろうか。

というプロット。

新選組の土方歳三が死んだ場所が函館だったというのも、このドラマで知った記憶があります。

その時、急に函館が身近になってきました。歴史と実際の場所がリンクしたのでしょう。

その後、ドラマの記憶が新しいうちに「五稜郭」を訪れ、そこにあった歴史記念館のようなところにも行きました。当時からすれば百年程度過去の遺物が展示されていて。自分の祖父母の父母が生きていた時代がまさにその時代。

想像の羽をはばたかせて、たどり着くことができそうな距離感にある歴史が眠るその場所で、少年は歴史の積み重ねを体感するのでした。自分は先祖代々の連なりで今ここにいるんだという。

永遠の日々の連なり。

そんな体感もプライスレス。

函館、空港の展望台

函館は港町です。海の港もありますし、空の港も。道民からすれば、内地(ないち(*))への玄関口となっている場所でもあります。

(*道民からの注:内地とは、北海道から見た本州のことです。)

青函連絡船が廃止になってからしばらくは、函館空港が玄関口でした。函館空港は、駅からバスで20分程度、湯の川温泉も近くにあるというロケーション。

この空港を舞台にしたもので記憶に新しいのは、映画「糸」。この映画で菅田将暉と小松菜奈が窓越しに会話するというシーンがありましたね。小松菜奈を菅田将暉が見送る場面でした。

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そんな場面とシンクロする出来事もあり。

それはある年末の日の出来事。

ある年、娘と二人で北海道に帰省したことがありました。娘は先に予定があったので1日早く帰宅するため、函館空港へ見送りに一緒に行きました。

中学生といっても、飛行機での一人帰省は初めて。実家を出てから、バスに乗って空港に向かうまでは饒舌だった娘も、ちょっと、心配げな表情に。

まあ僕に似て、きっとストレングスでは慎重性も低い気がするし、僕に似て楽観的なので、こちらとしてはあまり心配はしておりませんでしたが。

ただ、手荷物検査場を入って、搭乗開始までの数分間、名残り惜しかったんでしょうか。

窓越しにこちらを振り返っておりました。

そこで、登場「もしもしコーナー」

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まるで、菅田将暉と小松菜奈のように搭乗開始までの数分間、もしもしコーナーを独占(笑)。

それで安心したのか、ほっとした感じで、娘は搭乗口に。ありがとう、もしもしコーナー。

さて、、と展望台に向かい、飛行機が飛び立つのを見送ることにしました。

ここから空港展望台のエピソードが始まります(笑)

娘を乗せた飛行機は大きく函館上空を旋回しながら、はるか大空の彼方へと飛び立っていきました。

と、その時です。

何とも言えない感情が押し寄せてきました。さみしさではないし(すぐ会えるし)、懐かしさでもない。その2つの感情が組み合わさったかのような不思議な感覚。

この感情はなんだろう?

展望台で、彼方に見える函館山を眺めながらしばらく考え込んでいました。

ふと。

そう。この空港は、いつの時代も内地への玄関口だったんですね。僕が大学で横浜へ向かう際、なんどもここから内地へ旅立ったのです。それを見送ってくれていたのは、父でした。亡き父は、おそらくこの展望台で、僕が飛び立つのを見送っていたのではないか?

その場所で、かつて父が僕を見送ったように、僕も娘を見送っている。長い年月を経て、その場に消えずに漂っていた何事かをキャッチしたのでしょう。

おそらく父も僕をこんな風に見送っていたのでしょう。

さみしさと懐かしさが相まった感情を大切に感じながら、しばし、その場所にたたずんでおりました。

その時、函館山の方から、静かな風が吹きつけてきました。そう、それは、僕の、そして亡き父が、飛び立つ飛行機に乗る我が子に向けた思いを運んできたのかもしれません。

遠い日の忘れ物を届けてくれたのかな。

函館には、こんな風に大切な思い出が詰まっています。

永遠の日々忘れない
Glory days Glory days 輝いてる
Yes Dear my Glorious(歌詞一部引用)

函館の街は、プライスレス。





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