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コロナで夫を亡くしたこと その3

 コロナで夫を亡くしたこと その1
 コロナで夫を亡くしたこと その2

今のこと、これからのこと

2021年4月30日に夫をコロナで亡くしました。それからずっと、色々と手続きに費やしたり、不安に苛まれたりしていました。何しろこれからずっと一人になってしまったので。息子たちはいるけど、いずれ家からいなくなる。猫もいなくなる。両親は双方とも健在…まぁ年齢が年齢だけにピンピンはしてないですが。
親を見送る覚悟すらできてなかったのに、夫を見送ることになるなんて思いもしなかった。
これでこの後何年かのうちに親を4人と猫(今17歳)を見送らなきゃならないなんて…耐えられるだろうか。

涙が出るようなことは今だってよくあります。歌の歌詞聞きながら、舞台を見ながら。何かとふと思い出しながら。元気づけられることもありますが。
後悔と自責は、無くなることはありません。どうしようもないんです。一生抱き続けるしかない。
どこかで気付けたはず、助けられたはず、という思いは消えない。
明らかに病気が悪いんだって分かっててもそうだから、世の中にはどれだけ自責の念に苦しんでる人がいることだろうと思います。

ともあれ、私は野球を見ることを止めませんでした。原稿を依頼されて書くことも、自分から書くこともしていました。
ここ何年か、本当に野球を見たり書いたりすることが楽しくて充実していたから。気持ちは変わりましたけど、それは一生やりたいことです。
あれ以後一時期は老後のことを考え過ぎて、既に今が老後、余生みたいになってしまっていて。野球以外にやりたいこともなく、楽しいと思うこともなかったんです。野球以外でどこかへ行こうと思うこともなく、何か美味しいものを食べたいということもない。
あかんな、と思いました。
野球以外にも楽しいこと、やりたいことを持たないとなぁ。

で、ふと考えついた目標が、シニア留学。南の島あたりで1ヶ月くらい語学留学してみたい。一人になるからこそ、出来ること。
昔、高校生の頃1年間だけ留学したことがあって、そのままになってしまってたけど、また英語勉強してみたいな。
それで少し前向きになれました。
そして、錆びついた英語をちょっと元に戻せたら、アジアンブリーズ(日本から海外へ行くトライアウトチーム)を見にアメリカに行きたいなぁ…などと。彼らがどんな生活をして、どんなコミュニケーションをして野球に取り組んでいるのか、とても興味があるんです。

というわけで、少しは目標が出来ました。

2022年に入り、仕事は病院勤めなため、相変わらずコロナも落ち着かず。8月には自分がコロナ陽性になってしまいました。
熱が出て、嗅覚がなくなって。幸い軽症で後遺症もなかったけど、しばらくはトイレ行くだけでぐったり。でもその状態でも息子に感染さないよう周り中消毒していました。おかげで家庭内感染はなし。
病院のパート勤めは好きな仕事ではあったけど、有休もとれなくなり、現場無視の改悪が続いたため、辞めることにしました。ずっと頑張っていたので、しばらくゆっくり休もうと思いました。

まぁ結局1ヶ月くらいのんびりしたかな…というところでバイト始めちゃったんですけど。働かないのも精神衛生上良くないな…

書くことも、これから少しチャレンジが続きます。
しばらくチャレンジする気力があまりなかったので。
でも去年夏には高校野球という新しいジャンルの依頼があって書くことも出来たし、ジャパンウィンターリーグという新しいカテゴリを現地で見ることも出来た。今年は大学とか社会人とか見る機会を増やしていこうかと。
さらには独立リーグも色々新しい動きがありますしね。何件か伝手を辿ってお付き合いするメディアも増やしています。
寒い時期は日光も少なくて気分が沈みがちですが、暖かくなってきたら気分も上がってきました。年末はいつも気持ちが落ち込むので。

「ライターになるには名刺があればいい」
と言ったライターさんがいらっしゃいました。それを持って「ライターです」って名乗ればそれでもうライターなんだと。
私も挨拶する必要が出来て、名刺を作りました。最初は自分で作り、富山で二岡さんに取材するときに、「さすがに自作は」と印刷しました。100枚使い切るだろうか…と思っていたら、何年か経つうちに使い切り、新しい名刺を発注。それが今またなくなって新しく発注。それだけ人と会って経験を積んできた、ということです。これからもたくさんの方と出会っていきたいと思ってます。

この先は、ぼちぼち野球見ながら書きながら仕事しながら生きていきます。
家が究極に古くなってるので、猫も両親もいなくなって、ここにいる必要がなくなった時には引っ越そうかなと。
そしたら次の家には野球部屋を作ったり、人を呼べるようにしたいです。
抽選で当たったり色んな方に頂いたりして、野球のお宝も増えてきましたし。
まだすぐではないけど、住むところ考えたり調べたりしてます。
家のもの、本やマンガも山ほどあって、ぼちぼち処分してるけど、本当に進まない。ありすぎる。でも自分がいなくなったら全部ゴミ。ある程度は決別しなくちゃね。

仏教じゃないから三回忌ってないんだけど、丸二年経って、ようやっと納骨も決めました。
親を連れて行けるのは今しかないし。その方が親は安心するかなと。自分は特に変わらないのですが。夫の友人たちにお墓参りしてもらわなくては。

人に頼るのが下手で、一人で色々考えて一人で決めていくことがほとんどですが、それでも周りの人にはたくさん助けてもらってます。おかげさまで生きてます。
歌を色々聞いて泣いてた頃には、ヤクルトの登場曲プレイリストとかずっと聞いてて、で、なんかすごく響いたのが「プライド」の歌詞だったんですよね。

どこを見渡してみても希望がないのなら
君自身がそれになり 誰かを照らせるってことさ

高橋優「プライド」

誰かの助けになれれば。
そうしてそれが自分の支えになることもあるのかな。
夫も人のために頑張る人だった。自分のことそっちのけで家族のために頑張ったり、震災ボランティアに行ったり、困ってる人がいればほっとかない人だった。
意思表示は書いてなかったけど、ほんとは臓器移植とかしたかっただろうな。せめて献体はさせてあげたかった。
彼の遺したお金は自分のこれからを考えれば多額ってわけじゃないけど、少しずつでも人のために使っていければと、寄付は色々始めました。
こども食堂だったり、交通遺児だったり、医療やスポーツ関連だったり。
野球全体や球団や選手のためにも、何か出来ればいいなと日々それを励みにしています。

てな感じで、生きてます。

自分も必ず死ぬんだ、って思い知って、それは本当に怖いことだけど。
でも休みながらも自分なりに頑張るし、なんか残しながら生きていきたいなと思います。人付き合い下手だし、何かしらぶちあたってくよくよしたりもしますが、根っこはポジティブなので。そこは変わらずに。

何ヶ月もかけて書いたわりにはきちんとした文章にもなってないし、ただただ思ったことを書いただけですけど、これはこれとして残しておきます。
ここまで読んでくださった方はありがとうございます。
また次の文章でお会いできましたら。

ヤクルトファンの夫と出会ったからこその今。

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