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11月20日。 福田恒存「唯一のあるべき幸福論は、幸福を獲得する方法、を教へるものではなく、また幸福のすがたを描き、その図柄について語ることでもなく、不幸にたへる術を伝授するものであるはずだ」

福田 恆存(ふくだ つねあり、1912年(大正元年)8月25日 - 1994年(平成6年)11月20日)は、日本の評論家、翻訳家、劇作家、演出家。

中学校教師、雑誌編集者、大学講師などを経て、文筆活動に入る。また劇作家、演出家としても活躍した。『シェイクスピア全集』の訳業により岸田演劇賞(1955)、国語国字改革を批判し金田一京助らとの論争をまとめた『私の国語教室』などで読売文学賞(1961)、多年の評論活動により菊池寛賞(1980)、「ハムレット」の翻訳演出で芸術院賞(1981)を受賞。福田は生涯にわたって「自著の単行本は歴史的かなづかい、即ち正かなづかいを用いる」と主張を変えなかった。

一方で、進歩派全盛の風潮の中で、平和論・憲法問題・国語問題などに評論活動を展開し、保守派の論客として鳴らした。論争の相手は、中野好夫、小田実、清水幾太郎などで、若いころ彼らの論争を楽しんだことを思い出す。

1987年から1988年にかけ『福田恆存全集』を刊行。また『福田恆存翻訳全集』が完結した翌年の1994年(平成6年)に死去。享年82。戒名は実相院恆存日信居士。葬儀委員長は作家の阿川弘之。没後、『福田恆存評論集』が刊行完結している。

「教育と教養は別物です。教養を身に着けた人間は、知識階級よりも職人や百姓のうちに多く見いだされる」「先人、友人、仲間、みな師と思うことが大切だ。そして後輩を大切に引っ張っていく力を自らつけていこうと努めているうちに、自然と力はついていくものだ」。

古今東西、多くの人がそれぞれの「幸福論」を書いてきた。それは、幸福とは何か、幸福へいたる道を説いたものだが、福田恒存は、そうではないという。珍しく人生論を語った『私の幸福論』は女性誌に連載したものだが、福田らしく若い女性を甘い言葉でなぐさめたりはしない。人生は未知の世界への旅であり、究極において人は孤独であるとする。そして「失敗すれば失敗したで、不幸なら不幸で、またそこに生きる道がある」という。不幸や失敗だらけの人生において、混乱しないためのものさしとしての理想を語った。それは、不幸に耐える術として幸福論である。

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