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「名言との対話」9月10日。竹内俊子「母のみ知る悦びを謡ふ」

武内 俊子(たけうち としこ、1905年9月10日 - 1945年4月7日)は、童謡詩人、童謡作詞家童話作家。

広島県三原市出身。広島県立第一高女を経て、広島女子専門学校へ入学。退学し結婚し、東京世田谷へ転居。

1924年頃から4人の子どもの育児をしながら、童謡や童話の創作を始める。

1933年の第一歌集『風』には、「言葉に溢れている童心から強い刺激」を受けていること、「母のみ知る悦びを謡ふ」、そして「子どもと共に風の子になって謡ひたい」と書いている。

竹内俊子は、野口雨情に高く評価され、主要な児童雑誌「コドモノクニ」「幼年倶楽部」などに作品を発表していく。

1937年、キングレコードの童謡シリーズで、「カモメの水兵さん」が大ヒットした。その後も「赤い帽子・白い帽子」、「りんごのひとりごと」、「船頭さん」などもヒットし、日本全国の子どもたちが愛唱するまでになった。

竹内俊子作詞・河村光陽作曲の「カモメの水兵さん」は、横浜港からハワイに向かう叔父の見送りのときの景色を描いたものだ。この曲は圧倒的な人気で、アメリカ、フランス、ドイツ、韓国でも歌われた。「白い帽子 白いシャツ 白い服」のカモメの水兵さんの様子が目に浮かぶ、明るく、楽しい歌である。

1940年の「りんごのひとりごと」は「私は真赤なリンゴです」から始まって、寒い北の国から箱に詰められて、市場について、果物やのおじさんに顔をきれいにふかれて、リンゴ畑のおじさんを思いだすというストーリーだ。やや哀愁の香りのする歌詞である。

「船頭さん」は、」「村の渡しの船頭さんは 今年六十のおじいさん」から始まる。船頭の仕事を楽しみながら人々とコミュニケーションをとっている姿がみえる曲だ。

「赤い帽子 白い帽子」は、ランドセルを背負って通学するなかよしの子どもたちの様子を歌った楽しい歌だ。

コンビを組んだ河村光陽は、音楽教師をつとめながら作曲活動を行い、キングレコードの専属となり、竹内俊子の詩と出会う。1000曲を作曲した。大半の楽曲は長女の順子歌唱によるレコードで発表されている。

以上紹介した童謡は、私も小学校時代に歌った記憶がある。本当に久しぶりにこれらの歌を聴いてみて、このような歌をつくることのできる人は素晴らしい人に違いないと感じ入った。

子育て中の、言葉を操つるようになった「童心」からの強い刺激、「母のみ知る悦び」を感じ、それを歌にして、一緒に歌う。童謡に関与する人はこういう人たちなのだろう。


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