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「名言との対話」11月7日。田中久重「知識は失敗より学ぶ]

田中 久重(たなか ひさしげ、寛政11年9月18日1799年10月16日) - 明治14年(1881年11月7日)は、江戸時代後期から明治にかけての発明家

福岡県久留米市出身。幼名の儀右衛門時代から、からくり人形の仕掛けの工夫が得意で評判をとり、「からくり儀右衛門」と呼ばれる。九州、京阪、江戸でも活躍。「弓曳童子」に続き、「文字書き人形」を発明した。「寿」「松」「竹」「梅」の4文字を書くことができ人形であった。

1834年上方(大坂)に住み、「懐中燭台」(折り畳み式)、「無尽灯」(圧縮空気で灯油を補給)を考案し、優れた職人に与えられる「近江大掾」(おうみだいじょう)」の称号を与えられる。「須弥山儀」、「万年自鳴鐘」(万年時計)も完成させている。

1853年に、佐賀藩の製錬方として、「日本初の蒸気機関車・蒸気船の模型」を製造、また「反射炉の設計と大砲製造」に大きな貢献をしている。佐賀藩の国産初の蒸気船「凌風丸」の建造の中心的人物であった。

1864年には郷里の久留米で、佐賀藩の軍艦購入や鉄砲製造に関わるなど、先進科学藩・佐賀藩に大きな貢献をしている。

1873年に新政府の東京に移り、1875年に田中製造所を設立。1881年に死去。死後、田中製造所は、芝浦製作所、そして東京芝裏電気製作所となり東芝の基礎となった。

田中製造所出身の創業者も多い。現在の沖電気の明工舎を創した沖牙太郎。モリタ宮田工業創業者の宮田政治郎。池貝の創業者池貝庄太郎。アンリツ創業者の石黒慶三郎など。田中久重の人材育成能力が垣間見える。

この人には異名が多い。優れた職人の称号「近江大掾」(おうみだいじょう)、「からくり儀右衛門」、「東洋の発明王」、「東洋のエジソン」である。

その発明王にして、「知識は失敗より学ぶ」主義だった。失敗の連続であったのである。田中が擬せられたアメリカの「発明王エジソンは、生涯で1300もの発明と技術革新を成功させたが、やはり「失敗は成功の母」と語っている。因みに同じことを言っている日本人をあげていよう。本田宗一郎(ホンダ)「成功は99%の失敗に支えられた1%」。・柳井正(ユニクロ)「失敗は必要。むしろできるだけ早く失敗し、失敗を積み重ねることで成長が見えてくる」

私は若い時代にいろいろなことを試みて、失敗することが大事だと考えている。学校時代、ビジネスマン時代も、失敗の連続だったような気がする。ただ、失敗を重ねていくと、人生の「からくり」が見えてくる。だから失敗が減り、年を重ねるに従って、成功する確率が高くなる。

「事を成就するには、志があり、忍耐があり、勇気があり、失敗があり、その後に、成就があるのである」。立志と忍耐力と勇気、その次に失敗という珠玉の経験で鍛えられるのだ。やはり、「失敗は成功の母」なのだ。「失敗主義」でいこう!」。

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