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「名言との対話」8月30日。国木田独歩「道に迷うことを苦にしてはならない。どの路でも足の向く方へゆけば、必ずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある」

国木田 独歩(くにきだ どっぽ、1871年8月30日明治4年7月15日) - 1908年明治41年6月23日)は、日本小説家詩人ジャーナリスト編集者

千葉県銚子生まれ。広島市山口市育ち。東京専門学校に入学。徳富蘇峰に影響で文学に興味を持ったり、キリスト教の洗礼を受けるなどし、退学する。


独歩は「直覚力」と想像力が豊かで、事件の概略を知っただけで細部の事柄まで想像し、正当な解釈のもとで適切な判断を示すことができたようである。独歩は明敏な批評眼を持っており、新聞の美術欄担当記者以上だった。また、編集者としての能力も高く多数の雑誌を企画し一時は12の雑誌の編集長だった。現在も続いている『婦人画報』の創刊者としても名をとどめている。

「唯人間を描き、事件を描く。要なき事はすべて除けり」という独歩は、小説を書く場合に人物の境遇を暗示する手法を極力排除した。それは外国語に翻訳されたときに、日本独自の暗示では理解されないと考えたからだった。ロシア語の翻訳もあるが、翻訳者は独歩に感謝したのではないか。


「人はどんな場合に居ても常に楽しい心を持ってその仕事をすることが出来れば、即ちその人は真の幸福な人といい得る」と語っている。本人は日々楽しく仕事をした人なのだろう。

冒頭の言葉には、その前に「武蔵野を散歩する人は」という言葉がある。自然豊かな武蔵野では足の向くまま歩いていき道に迷っても、かならず意味のある場所にでる。それが武蔵野の魅力であった。

独歩は小学校の教師、徳富蘇峰の『国民新聞』の記者、文筆家、編集者と短い人生の中で足のむくまま仕事を変え、そこでそれぞれに実りを得ている。また、独歩の興味の遍歴、女性関係の発展家ぶり、すぐれた友人たちとの交流などをみると、相当に濃い生涯を送った人だと感心するが、亡くなったのは38歳というから、驚きだ。その人生の歩みを武蔵野の散歩に例えたのであろう。

人生は気の向くままま歩く散歩のようなものであり、偶然と気まぐれによって、どの道を歩むことになろうと、大差はない。どの道にも、それぞれの実りが用意されている。国木田独歩という人物はこのような人生観で日々楽しく充実して生きたのであろう。


久恒啓一 (id:k-hisatune)


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