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「名言との対話」12月5日。免田栄「殺していないのに絞首刑で処刑された人が何人もいる」

免田栄(めんださかえ 1925年11月4日ー2020年12月5日)は冤罪を受けた元死刑囚。

死刑囚で再審無罪となった最初の人である。 23歳で逮捕され、57歳で無罪を勝ち取るまで、実に34年6カ月を獄中で生きた「死刑台からの生還者」である。それは免田事件と呼ばれる。そして、本日95歳で死去したというニュースが流れた。

免田事件とは1948年(昭和23年)12月30日に熊本県人吉市で起こった祈祷師一家4人が殺された強盗殺人事件で、被疑者の免田栄の強制された自白にもとづき最高裁で死刑判決が下されたのち、再審で無罪が確定した有名な冤罪事件だ。死刑確定判決後の再審でアリバイが認められて初の無罪となった。

あらためて1983年のこの日のNHKのニュース動画をみた。免田栄は「勝つ自信はありましたらから」「当然この日が来ることは確信を持ってました」「これはひとつの区切りであって、あらためて戦うつもりです」との言葉が印象的だった。

「34年半の獄窓生活の中で、私が手をにぎって死刑台に見送った人々は70人くらいだと思う。 昨日も今日もというときもあったし、1日に2人ということもあった。 死刑台に多くの人を見送っての結論は、やはり死刑はあってはならぬ、いうことである。 国家による殺人は、あまりにも残酷だ」(免田栄/獄中記より)

釈放後に知り合った玉枝さんと結婚した免田栄は自身の経験をもとに、「人のすることだから間違いはある」としながらも、「もうこういうことがないように」「司法がしっかりしてほしい」「誰かが行動しないと、黙っているままじゃあ、民主主義は寂しかですたい」と、出獄後は冤罪防止や死刑制度廃止を出版や講演で訴え続けた。そして他の確定死刑囚の再審支援にも奔走している。1980年代には財田川、松山、島田各事件で確定死刑囚の再審無罪が相次いだ。

自分の名前もカタカナでしか書なかったのだが、獄中で本を読んで漢字や法律を学んでいった。その獄中メモは、『免田栄獄中記』(社会思想社、1984年)『私の体験にもとづく冤罪論・死刑廃止論』(いのせんと舎、1993年)『死刑囚の手記』(イースト・プレス、1994年)『死刑囚の告白』(イースト・プレス、1996年)『免田栄獄中ノート』(インパクト出版会、2004年)に結実している。

刑事補償法によって9000万円の保証金が払われたが、半額以上を弁護団や支援団体に謝礼として渡した。また拘置所にいた間は年金に加入できなかっために年金を受け取れなかった。また根強い偏見によって郷里では住めなくなり引っ越している。

2001年には、フランスの第1回死刑廃止世界会議に参加、2007年にはニューヨークの国際連合本部で行われたパネルディスカッションにおいても自らの主張を訴えた。

免田の申し立てによる議員立法の成立で未納保険料を支払い、2013年に年金の一時金を受け取り、2014年からは国民年金を受給できるようになった。2019年9月には熊本大学付属図書館で「『地の塩』の記録 免田事件関係資料展」が開かれた。

あの有名なデュマの『巌窟王』の主人公モンテクリス伯でさえも冤罪による獄中生活は14年だった。さらに20年の間、免田栄は死刑におびえながらの日々を送ったのである。「殺していないのに絞首刑で処刑された人が何人もいる」という言葉は冤罪で死んだ死刑囚から預かった魂の叫びだ。運命というにはあまりにも過酷な生涯というほかはないが、それが免田栄の生涯のテーマとなった。釈放後は獄中生活よりも長い38年を生き、最後は95歳で老衰で亡くなったことがせめてもの救いのような気がする。冥福を祈りたい。

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