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「名言との対話」3月15日。龍隆行「野球とボウリングと似ているところは、マウンドとレーンの長さが一緒であることだ」

龍 隆行(りゅう たかゆき、1941年11月25日 - 2017年3月15日)は、プロ野球選手投手)、プロボウラー

福岡県出身。三池高校ではエースで4番で甲子園には届かなかった。法政大学に進み、在学中に4度のリーグ優勝をかざる。サウスポーので15勝6敗。全日本大学野球選手権大会で優勝。第1回日米大学選手権にも出場している。

プロ野球では東京オリオンズに入団するが、5年間で2勝2敗の成績に終わった。

野球ではなくボウリングで生計をたてようと、1970年からボウリングに挑む。半年でプロ資格を取得する。同期にはスターとなった西城正明がいる。通算タイトルは17回で歴代6位。日本ボウリング史上最高のサウスポーであった。

大学時代、若いビジネスマン時代には私もボウリングをしていた。今回ボウリングの歴史を調べてみた。

もともとはピンを悪魔や災害に見立てた宗教行事であり、BC5000年のエジプトでも行われていた。ドイツの宗教改革を先導した、マルチン・ルターが基本ルールを統一し、宗教家の間では人気があった。アメリカでは移住したオランダ人が持ち込んだ。1950年代初めに全自動ピンセッターが開発され、急速に普及した。

日本では1861年に長崎の大浦居留地に日本初のボウリング場が設置された。1971年には6月22日がボウリングの人なった。昭和40年代(1965年以降)には手軽なレクレーション・ゲームとなった。1970年前後には、須田佳代子、中山律子などのスタープレイヤーが現れ、ボウリングブームが到来した、1972年委は善行で3697のボウリング場が存在した。ブームが去って、2023年現在では661に激減した。

運動神経が抜群であった龍隆行がボウリングに出会ったのは、まさにボウリングの創成期だったのだ。その姿はテレビ中継などで私も見ているはずだ。

龍は体調をくずしていたが、テレビのインタビューでは「ボールが前に進む限り続けたい」としていた。

野球のマウンドからベースまでの距離と、ボウリングのレーンの長さが同じとは知らなかったが、プロ野球の投手だった龍隆行らしい観察だ。

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