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5月25日。米原万里「よく聞きなさい、私は美人作家じゃなくて美人なのよ」

米原 万里(よねはら まり、女性、1950年4月29日 - 2006年5月25日)は、日本の、ロシア語同時通訳・エッセイスト・ノンフィクション作家・小説家である。

日本共産党の幹部党員だった父の仕事の関係で在プラハ・ソビエト学校で学ぶ。東京外語大学ロシア語学科卒。東大大学院露語露文学専攻修士課程修了。共産党に入党したが、後に除名された。33歳頃から第一級のロシア語会議通訳として活躍。ペレストロイカ以降のイベントの通訳を担当し、エリツィン来日時の通訳をつとめた。1980年ロシア語通訳協会初代事務局長、後に会長。

語学の才能のある美人であり、そのことが原因となる独特の経験とものの見方がユニークでファンが多く、名エッセイストとしても名を馳せた。44歳の『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』は読売文学賞、46歳の『魔女の1ダース』は講談社エッセイ賞、51歳の『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』は大宅壮一ノンフィクション賞、52歳の『オリガ・モリゾウナの反語法』はBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞していことからみても相当な腕前だたことがわかる。「高等数学の記号を扱うような細密さで言葉をあつかい、
しかも笑顔のような見えない言葉も見逃さない」と言葉の魔術師・糸井重里が、この魔女の魅力を語っている。

通訳という仕事は翻訳とは違って、生身の人間が相手だから、観察力のある人にとって、ネタの宝庫である。そしてその言語はロシア語であったため、独特で得がたい現場を持っていたことになる。そこはエッセイスト米原万里にとって人間観察の泉となっていた。米原万里の義弟にあたる井上ひさしは「エッセイとは自慢話のことである」という名言を吐いたが、シモネタと駄洒落をこよなく愛したこの人の自慢話は知的で優雅で不敵であった。

米原はよく「美人作家」と呼ばれていたが、その尊号を拒否する。作家の中での美人というのはおかしい。作家は美しいかどうかは関係がない。だから自分は「美人」だとのたまった。同じロシア語に堪能で言葉に厳しい作家の佐藤優が「米原さんは美人作家ですから」と言ったら、このように怒られたという。米原万里の名は、様々の作家のエッセイに愛すべき、尊敬すべき人として登場するのを見ていたのだが、今となっては56歳で夭折した同世代のこの人の肉声を聞けなかったのを残念に思う。


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