見出し画像

2月23日。 田村義也「装丁・造本という仕事は、編集者の仕事の中でその最後の仕上げであり、まとめである」

田村 義也(たむら よしや、1923年 - 2003年2月23日)は、日本の編集者、装幀家。

岩波書店に入社し、『世界』、『文学』などの編集長をつとめた。また書籍の装幀も手がけたことで知られる。田村の装幀は独特の書体と風合いを持つ特徴的なもので、多くのファンをもつ。第13回講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。

「ある距離をおいて介在し、全体を按配するのが編集者の仕事である。もとより、編集者は表に出るべきでないから、いわゆる『黒衣』のごとく、『縁の下の力持ち』として立ち回る。したがって、注意深い編集者がいないと、完璧な本はなかなか生まれない」。『田村義也装丁作品目録 1959~2003』によると、田村義也装丁作品数は44年間でおよそ1400冊にのぼる。全作品を並べたら、どういう風景になるのか、想像すると楽しい。

田村義也の追悼集『田村義也 編集現場一115人の回想』を読んだ人からは「いい時代の幸せな編集者たちですね」という声があったそうだ。今は著者との濃密なやりとりはなくなっている。30年ほどの間、著書を刊行してきた私の経験からも、優れた編集者に会う機会が減ったという感じもある。

「装丁・造本という仕事は、編集者の仕事の中でその最後の仕上げであり、まとめである」は「編集装丁者」と好んで名乗った田村義也の言葉だ、装丁で大事なのは、書名と目次作りや構成だ。田村義也の装丁には「背文字」の強さがある。学生時代に愛読した本多勝一『極限の民族』(朝日新聞社、1967年)、『戦場の村』(朝日新聞社、1968年)なども装丁家・田村の仕事だった。安岡章太郎の小説の装丁も多く手掛けている。没後には、 『背文字が呼んでいる 編集装丁家田村義也の仕事』。『月の輪書林 古書目録14 田村義也の本』など、ファンたちが、田村義也の業績をしのんでいる。

新宿書房の村山恒夫代表によれば、デジタル編集のおかげで単行本の製作費は激減していおり、「ほんとうに出したい本」「だれも出さない本」「ぜひ残したい本」を出版することが可能な時代になった。日本中、世界中のフィールドワークの成果を発信することができる。まだまだ出版は面白いと、意気軒高な編集者もいる。

編集という仕事は、コンテンツの発見、創造に関与し、いくつかの過程を経て、作品に結実させるという息の長い仕事であるが、最後の仕上げで注意を怠るとそれまでの努力が水の泡になる。100里の道も99里がまだ半ばであるとのことわざ通り、最後の一里が大事な仕事なのである。何事もラスト・ワンマイルを大事にしたいものだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?