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5月6日。萱野茂「アイヌとは、アイヌ語で『人間』という意味であります」

萱野 茂(かやの しげる、1926年6月15日 - 2006年5月6日)は、日本のアイヌ文化研究者(博士(学術))。

アイヌであった萱野茂は1972年日高に「二風谷(にぶだに)アイヌ資料館」を設立する。集めたアイヌ民具の収集品と自ら復元した民具のうち1121点(うち202点が同館の収蔵品)は2002年2月に国の重要有形民俗文化財に指定されている。そして1975年古老からの聞き取りによるアイヌ民族の生活教典『ウェペケレ集大成』は、文化分野で高い業績をあげた個人・団体を対象とした菊池寛賞を受賞。私塾アイヌ語塾をひらき、小・中学生を指導する。1989年には日本の文化活動に著しい貢献を果たしたとして吉川英治文化賞を受賞している。

1994年アイヌ初の国会議員(参議院)(社会党、社民党、民主党。1998年まで)となり、「日本にも大和民族以外の民族がいることを知って欲しい」という理由で、委員会において史上初のアイヌ語による質問を行った。 アイヌ文化振興法を成立させ、国会議員としての目的を果たした萱野は一期限りで引退。1998年「萱野茂のアイヌ神話集成」で毎日出版文化賞を受賞。萱野は自らの生い立ちを通じて、言葉や文化を奪われた民族の悲しみを綴った『アイヌの碑』をはじめ、生涯に凡そ80冊の著作物を刊行した。

中国人が中国語で口論しているのを見て、アイヌ民族出身の萱野茂氏は嘆息しながら「おれたちもあんなふうにアイヌ語でケンカできたらどんなに幸せだべなあ。うらやましいなあ」と語っている。すでにアイヌの言葉は失われつつあったのである。茅野はアイヌ語の記録にも執念を燃やし、1万4000語を収録したアイヌ語辞典も刊行している。またアイヌの叙事詩『ユーカラ』や昔話の録音は700時間にも及んでいる。

「言葉は民族にとってかけがえのないもの 言葉こそ民族の証し そう思っています」と萱野がNHK「あの人に会いたい」で語っている映像を見た。アイヌという言葉は、「人間」を意味している。和人はそのアイヌを人間として扱ったかと訴えた人生だった。今年、北海道に行く予定があるので、「二風谷(にぶだに)アイヌ資料館」を訪問し、萱野茂の事績を追いたい。

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