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映画感想no.1「同じ遺伝子の3人の他人」


「なぜ3人がああも違ったのか。それは3人を見れば分かる。すべては育ち。」

映画の中の一言です。
人生が育ちで左右されることに関しては、いくつかの研究結果で分かっていますし、一般論として、そこに異論はありません。
でも、この一言をこの物語の結論にするのは悲しすぎる。

映画の雰囲気を伝えられる自信がないのであらすじを詳しく書くのは控えます。

映画はドキュメンタリー調。
生き別れた3つ子が運命的に出会いを果たすが、実はそれは「生まれか育ちか」を研究する人体実験に利用された、人為的な運命だった。
という話です。
前半の、若いニューヨーカーたちの騒がしい雰囲気、運命に興奮する世間の様子とは一転して、後半はゾッとした。
研究者と養子縁組施設が結託して、子どもたちの人生を実験道具にしていたなんて。

研究自体だけでなく、三つ子の共通点を探し出しては人々の好奇心をたきつけ、彼らの人生をドラマティックな運命としてエンタメ消費するマスコミや世間も怖かった。
一方で、「彼が3人の中で一番魅力的だった」とそれぞれの妻が語っているインタビュー映像が差し込まれていたのはよかったな。
「個性の尊重」はこの映画は訴えようとしたテーマのひとつなのかも(はてな)

映画の構成として分からないのは、
三つ子の次男であるエディがうつになり自殺したと兄弟が語る映像のあと、
産みの母親もうつを患っていた、うつは遺伝によるものが大きい、という説明が入ったことです。
これでは“育ち”(=環境)ではなく“生まれ”(=遺伝)ということにならないか。
さらに違和感だったのは、
エディと育ての父親は相性が悪かったとする説明されていたことです。
このシーンのあとに

「なぜ3人がああも違ったのか。それは3人を見れば分かる。すべては育ち。」
という一言がでてきたのですごく悲しかった。
だってこれでは、遺伝によるうつを治せなかったのは育ての親が悪かったみたいな描かれ方ではないですか。
エディの父親の気持ちを考えると居たたまれなくなりますし、なにより、
うつ患者を外的な支援で治すことは不可能だと言っているみたいです。

エディが他の2人と同じ家庭で育ったのなら、エディはうつにならなかったということでしょうか。そう考えると育ての父親に対して胸が締め付けられるものの、この映画の主題である「”育ち“がすべて」との一貫性が取れます。
ならばなぜ「産みの母親もうつ、うつは遺伝が大きい」という説明を挟んだのか、製作者の意図が分かりません。

エディは育ての親と相性が悪かったこと、うつは母親譲りかもしれないということ、
この2つの内容は共存できないと思います。

展開が予測できない話でしたが、この違和感も含めてなんだかスッキリしない映画でした。

作品はアマプラで見れます。


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