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【ヘミングウェイと私①】高校3年『誰がために鐘は鳴る』

 今日は昨日までの寒々しい天気とは打って変わって、春の訪れを感じさせる、ぬくぬくとした陽気だった。中国・唐の時代の詩人、猛浩然は「春眠暁を覚えず」という一節を残しており、「春になると、ついつい心地よく、夜が明けたことにも気づかずに眠りこけてしまうものだ」というなんとも平和でぬくぬくとしたことを言っている。国と時代が変わっても、季節の移ろいに対して人間が感じることはそうそう変わらないものだ。何千年後かの未来には、気候変動により地球環境が危機に瀕するかもしれないが、春の陽気の中にいながら、そこまで先の未来を見通す気にはなれない。ひとまずは、ゆったりとぽかぽか太陽のもと今日地球があって、1日を過ごせればそれでいい。

 オンライン英会話を終えて、毎朝の習慣で朝散歩に出かけたものの、雲ひとつない青空と降り注ぐ暖かい太陽とは打って変わって、強風に吹き付けられた私は暁を覚えるどころか、風が運んできた強烈な花粉の到来を痛切に感じることとなった。そんなわけで痒い目を擦り、目薬片手に鼻をかみながらこの記事を書いている。


 私がヘミングウェイ作品を最初に手に取ったのは高校3年の2月末である。私は世界史が好きで、とりわけヨーロッパ史とイスラーム史に強く惹かれた。そんなわけで高校生活の最後の旅行先には、スペインを選んだ。古代のローマ帝国時代を経た後、中世のイスラーム勢力が栄華を極め、キリスト教徒、ムスリム、ユダヤ教徒までもが税制度の違いのもとで多民族共生を実現したイベリア半島の国である。その後、レコンキスタ(国土回復運動)でスペインは再び、キリスト教カトリックの国となったわけだが、古都グラナダにはイスラーム建築の最高到達点(ルフィのギア5風)であるアルハンブラ宮殿が聳え、現代にその技術の高さと建築の優美さ、そしてかつての繁栄の面影を伝えている。

 スペイン語を公用語とするが、バスク語、カタルーニャ語話者もいて、重なり合う歴史の層の上に多文化がひしめき合う、魅力の尽きない国である。デュオリンゴでスペイン語学習を再開しなければならない。ところで18世紀のアメリカ人作家ワシントン・アーヴィングはアルハンブラ宮殿を訪れ、感銘を受け、『アルハンブラ物語』という歴史小説を残した。私もまだ積読しているが、興味がある方は是非。文学から入る歴史の学びも大いにありだ。

 話が逸れたが、私が今日書くのはアーヴィングではなく、ヘミングウェイの話である。スペイン旅行の準備を始めた私は長いフライトの間に何か読みたいと思い、スペイン関係の本を2冊購入した。中公新書の『物語 スペインの歴史』とヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の2冊である。これがヘミングウェイ作品との出会いであった。

上下巻合わせて930ページ、よくこの量を最初に読もうと思ったな(モノローグ)


 文量が多い上に機内は暗く、快適な読書環境とは言えなかったが、エティハド航空便の全く読めない機内アラビア語表記にうきうきしながら読み続けた。

帰国後すぐにコロナウイルスが大流行し、日常は一変するのだが、この時はまだ知る由もない。


『誰がために鐘は鳴る』の主人公はアメリカ人青年ジョーダンである。国際義勇兵として、第二次世界大戦時のスペイン内戦に参加した彼は、反フランコ側のゲリラ兵達と行動を共にする。昨年のロシアのウクライナ侵攻では、世界各国からウクライナ側の国際義勇兵が数多く集い、その中には日本人も含まれていて、ニュースで見かけた方もいるかもしれない。私はその折、このジョーダン青年を思い出していた。そんなイメージである。
 独裁政治を行なったフランコ政権に対して市民が反旗を翻し、ゲリラ兵となり、スペインを二分することとなった戦争がスペイン内戦である。爆撃で荒廃したスペイン・ゲルニカという街を見たピカソはかの有名な黒々とした絵画を残した。

幸運にもマドリードで実物を見ることができた。お土産ショップにはゲルニカ柄のマグカップがあったが、少なくとも私は、爽やかな朝にゲルニカマグカップで白湯を飲みたいとは思わない。


スペイン内戦についてはあまり詳しくない。歴史教育を志す人間として口惜しいが、興味のある方は調べていただきたい。

 さて、『誰がために鐘は鳴る』に描かれているのはスペインを二つに引き裂いた内戦の実態とその背景にある政治事情、そして何よりも戦争で人生が変わってしまったかつての市民であった普通の人々である。現代史の資料として、スペイン内戦の思想的変遷を知る手がかりとしてこの作品の捉え方は多様である。

 しかし18歳の私を捉えて離さなかったのは、ヘミングウェイの描く世界の解像度の高さとジョーダンとゲリラ兵の少女マリア(スペイン人)の間に、戦火の最中で激しく燃え盛った恋の炎である。連日死を目の当たりにし、明日の命があるかもわからない過酷な戦場で強烈に生を実感し、過酷な戦場で起こる惨劇とコントラストを成すかのように強烈に愛し合う2人。目に映るもの全てとその息遣いを徹底的に描くヘミングウェイの情景と風景の描写がありありと機内の私に2人の想いと戦場の過酷さ、引き裂かれる悲惨な現実を見せつけてくる。

 私はその世界に圧倒され、真っ暗な機内の天井を見上げ、ふと

「自分はここまで激しく人を好いたことがあっただろうか」

と眠い頭で考えた。ふと手元に目をやると、拙い英語で注いでもらったオレンジジュースがある。喉の渇きを癒そうと手を伸ばし、口に運ぶ。喉に流れ込むはずの清涼な甘味は感じられず、腹のあたりに冷たさを感じた。その時着ていたセーターに溢れたオレンジジュースの匂いと共に私はスペインを周遊することとなった。

 帰国後も全く読み終わらず、1ヶ月ほどかかったのを覚えている。あれから4年が経ち、ヘミングウェイ作品は、邦訳された作品全てを読破した。いつか英語版で読み、原文の美しさと自分の成長を実感したい。

 短編集も含めて書こうと思ったのだが、書き始めると芋づる式に記憶が蘇り、文章がひとりでに紡がれていき、長文となった。次回はとりわけ思い入れの強い、初期短編集について書いていく。気長に待っていただきたい。そしてここまで読んでくれた方には元気に新年度を迎えてほしい。
 今振り返ると歴史的背景を全く知らずに読んでいたことが浮き彫りとなったが、それを差し引いても18歳の私に訴えかけた『誰がために鐘は鳴る』を読み切れたので、それで良しとしよう。

人には人のヘミングウェイがあるのである。

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