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ひらがな表記派

漢字とひらがなの表記比率は、3:7が理想とされる。バランスがよく読みやすいため、多くの活字媒体で意識されているらしい。

まあそれはさておき、私はひらがなが好きだ。
絶妙なバランスに、えもいわれぬ曲線。書くのが難しい。「字が汚い」と小学校で言われ続けてきた私には天敵である。
何より、ひとつの字がひとつの発音を担っているという責任感が愛らしい。突如「エイ」とか「エァ」とか「アッ」とかに化けないでいてくれてありがとう。「日本語の音も文脈によって発音変わるけどね」とかは言わないでほしい。痛いから。
なお、このnoteに日本語信仰と他の言語を貶める意図は一切ございません。

私が使用する一人称は、主に3つある。
「私」「ぼく」「おれ」だ。ポケモンの3タイプでいえば、ノーマル、みず、くさタイプのイメージだ。特に深い意味はない。ほのおって感じじゃなかった。性格的に。

お気づきだろうか。「私」のみが漢字表記で、2つはひらがな表記である。私はこの規則をそれなりに一貫性をもって使っている。
前もって申し上げると、使い分けのきっかけは感覚的なものである。そっちのほうがしっくりきたからだ。以下の詭弁は、後追いでその理由を考察するものである。


僕は。俺は。いまいちしっくりこない。
ぼく。おれ。悪くない。

理由は簡単である。ひらがなのほうがゆるゆるしているからだ。かわいいじゃないか。別に自分がかわいいとは思ってないですよ。
心なしか責任感も小さめに感じる。素晴らしいことだ。

ポケモンのタイプに例えると、「僕」だと純粋なみずタイプ。「俺」はほのおタイプに感じる。間違いなく、生まれ育った文化の影響を多分に受けていよう。
私はそんなタイプじゃない気がする。もっと混ざっていたい。むしろタイプ間を行き来したい。

「ぼく」や「おれ」には、どこか頼りなさが感じられる。情けなさといってもいいだろうか。素晴らしいことだ。


では、なぜ「私」は「私」なのか。
なぜだろう。なんででしょう。うーん。

おそらく、「私」の選択が社会的なものだからかな。「私」は公的な人称といえるだろうか。厳密には知らん。総理大臣もニュースキャスターも教科書も、「私」だ。どことなく「私」に漂う「公式」感。あれ、「公」が「私」を使うっておもろいな。

ジェンダーフリーでもある。素晴らしい。ちなみに私は小さい頃、高学年の先輩(男子)が「私」と言っているのを見て、兄に「なんであの人女っぽい喋り方してるの?」と聞いた。「は?」とのことだった。たぶん漫画の影響である。

話を戻すと、私が「私」を使うのはもっぱら書き言葉である。書き言葉は、よそいきの格好をしている。社会に出るときの公的な言語として使ってる感がある。大人って感じするし。社会人って感じ。

思えば、それっぽい雰囲気を出したいときに「私」を使う。
話し言葉やLINEだと、「わたし」を使うときもあるからだ。尾木ママのように中性的な喋り方は聞きやすいと耳にしたことがあるので、「わたし」「あたし」を用いることもある。実はあるのよ、あたし。


一人称に関してはそんな感じである。
ちなみに、あいさつはひらがなが基本である気がする。「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」は、いずれも「お早う」「今日は」「今晩は」と言ってみると、どこか古めかしい感じがしないだろうか。「有難う」も同様である。

ゆえに、私は挨拶としての「おつかれ」は原則としてひらがなで表記している。「お疲れ様です」ではなく、「おつかれさまです」派だ。
「おつかれ」について詳しくはこちらのnoteに書きました。


ここまでいろいろと述べてきたが、念のため申し上げると、あくまで自分の言葉遣いに関する限りの話である。他の人は好きにすればいいと思う。言葉狩りをするつもりは一切ない。
言葉なんて変わっていくものだし、それがおもしろいのだから。

さて、この文章を読んでみなさんがどう感じたかは、大いに気になるところだ。これは私に特有の感覚なのか。コモン・センスなのか。前者であれば、なんでやねん。

何か思ったことがあれば、お気軽に感想を聞かせてください。私にでも、ぼくにでもおれでも。

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