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長野久義(ちょうのひさよし)選手。
1984年生まれ、佐賀県出身。
名外野手として活躍する、プロ野球選手。

彼のキャリアを少し紐解きますと。

高校時代の甲子園出場経験はなし。
日本大学の野球部にて
三塁手から中堅手に転向。

野球部の後輩からアドバイスを受けて
あえてホームベースから離れて
打席に立つことで、苦手な変化球の
見極めができるようになったと言います。

大学四年時に主将を務め、
「二期連続首位打者」の大活躍!
日本ハムより四位指名を受けるも、
しかし、入団拒否…。

なぜか?

彼は読売ジャイアンツ、巨人軍入りを
熱望していたから
です。

あえて社会人野球の
Honda硬式野球部に入部。
右翼手として活躍しつつ
巨人からの指名を待っていました。

しかし今度は千葉ロッテが
二巡目で強硬指名。
球団と交渉はしたものの、
改めて入団拒否しました。

プロに行くなら、巨人へ…。
その熱意は、全く変わらなかったのです。

そんな彼は2009年、晴れてドラフト一位で
巨人に指名されることとなりました。
以来、主力選手の一人として大活躍!

…しかし、その十年後の2019年に、
まさかの、あの「人事」が起きるのです。

本記事は、長野選手について。

『球界一の気配りが出来る男』。
そんな評判が彼にはあります。

◆外国人選手に英語やスペイン語を駆使して
積極的にコミュニケーションを取る

海外からやってきた外国人選手。
どうしても、島国日本の選手は
距離を置きがち、です。

でも、長野選手がいれば、安心。

臆するところがまるでない。
チームに早く溶け込んでもらえるよう
どんどん話しかけていく。

逆の場面を想像してもらえれば、
わかるかと思います。

他国に行き、日本人ひとりぼっち。
言葉も習慣も、よくわからない。
そんな中で、あえてカタコトでも日本語で
話しかけてくれる人がいたら、
どんなにか心強いでしょうか…!

義に篤い。そんな選手なんです。

例えば同僚だった
ピレラ選手が韓国球界の
サムスンというチームに移籍が決まると、

韓国球界で活躍したサムスンOBで元同僚の
李承燁さんにわざわざ連絡を取って
「(ピレラのことを)良くしてやって欲しい」
と頼んだ、とも言います。

◆若い選手ともコミュニケーション抜群

年数を重ね、ベテラン選手になってくると、
若い選手とはどうしても
距離ができてしまうものです。

ましてや若い選手のほうからも、
かつてのカープの「新井さん」のように
「いじられやすい先輩」ならともかく、

「生きる伝説」のような選手には
畏敬の念を持って接する、と思います。
壁が、できる。

でも、長野選手がいれば、安心。

彼はたとえ二軍にいたとしても
若い選手たちの輪の中に入り、
一緒に練習で汗を流し、声を出し、
楽しく、野球をします。

大学時代にそうしたように、
後輩からもアドバイスを受け、
それを取り入れる度量の深さ!

出番に恵まれない若手を、励ます。
元気のない選手には、
笑いを誘って笑顔にする。

実績を鼻にかけない。
いまできることを、全力でやる。
グラウンドの中では野球に集中する。

そういう姿勢を、若手選手たちに
自然と見せるのです。

◆飲みニケーションも抜群

彼は、グラウンドの外でも
積極的に声をかけます。
食事や酒席に
(もちろんコロナ禍にきちんと配慮しつつ)
声をかける、と言います↓

オンとオフ、メリとハリとを
しっかりつけ、コミュニケーションを取る。
それだけではなく。

(ここから引用)

『酒席での長野といえば、
たびたび耳にするのがこんなエピソードだ。

ジャイアンツ時代から
同じ店に知り合いやメディアなどの関係者、
さらにはファンがいた場合、
彼らの分の会計も、
長野が全て済ませてしまうという。

ただ、この話を本人にぶつけると、
食い気味に即答されてしまった。

「いや、気のせいです。たぶんそれ、
僕じゃないと思いますよ」

筆者自身、知り合いのカメラマンが
食事をしていたところ、
同じ店に後から入ってきた長野が
気付かないうちに
会計を済ませてくれた
という話を聞いたことがある。

なんとか本人に認めさせようと
食い下がったのだが、長野は
少しだけ笑みを浮かべて、

「いや、気のせいだと思います」
と答えるだけだ。

取材現場は笑いに包まれたが、
結局、最後まで
本人がそれを認めることはなかった。

ただ、このやりとりも含め、
気付けばインタビューは
一気に和やかなムードに……。

これもまた、長野久義の
コミュニケーション術なのかもしれない。』

(引用終わり)

そんな長野選手、なのです。
人を惹きつける魅力の持ち主…。

しかし、巨人で活躍していた彼に、
2019年「予期せぬ人事」が起きました。

FA移籍した丸選手の人的補償として
広島東洋カープへの移籍が決まったのです。

以来、2019年、2020年、2021年、2022年。
「カープの長野」として選手生活を送りました。

巨人時代ほど大活躍とはいかなかったまでも、
彼のプレイとコミュニケーション能力に
「助けられた」人たちは
無数にいたのではないでしょうか?

二球団のドラフトを蹴ってまで
熱望した球団、巨人に入った長野選手。

その球団から出されたわけですから、
普通なら、モチベーションが
下がってもしょうがないところですよね。

しかし、彼は違った。

一生懸命、カープというチームに
溶け込もうと努力し、かつ、
外国人選手や若手などをチームに
溶け込ませようと努力してくれた。


多くのカープファンが、彼の人柄の
とりこになった、と言います。

最後に、これからの彼の
行先について書きましょう。

2022年11月2日。
カープから巨人への、何と驚きの
「無償トレード」が報道されました。


そう、巨人に、
長野選手が戻ってくるのです!

『彼は二度もドラフトを拒否し、
巨人を貫いた選手。
いつかユニフォームを脱ぐことが
あるとすれば、やっぱり
巨人で脱ぐべきではないかと思っていた』

カープの鈴木球団本部長は
こう巨人に提案し、受け入れられました。

意に染まない(であろう)人事にも
嫌な顔を一つも見せず、
新天地で心機一転、頑張ってきた。

そんな彼の人柄がお互いのチームの
経営陣たちをも動かして、
今回の無償トレード、古巣への「帰還」に
つながったのではないか、と思います。

こんな選手は、なかなかいない。

この二球団を往復した経験は、
彼のこれからのキャリアに
きっと活かされていくことでしょう。

『巨人は敵チームだけれども、
長野選手は、絶対に応援する!』

そんなカープファンも
多いのではないでしょうか?

長野選手、私も、応援します。
さらなる大活躍、期待しております!

…読者の皆様は、
今回の無償トレードについて、
どう思われますか?

皆様の会社・組織には、
長野選手のような方はいるでしょうか?

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