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自主的に判断・行動する主体性を喪失し、
根無し草のように浮遊し続ける
無定形で匿名な集団!

これすなわち「大衆」と呼びます。
「無知なる者」「愚者」と言ってもいいでしょう。

自主的に判断・行動する主体性を保ち、
自分の軸をしっかり持って
根を大地にどっしり構え、他人にすら着実に
目指すべき「目的」を指し示せる人(たち)!

これすなわち「哲学者」と仮定しましょう。
「知恵ある者」「賢者」と言ってもいい。

この二者を、仮に対照的に設定した場合、
現代では「大衆」がほとんどであり
「哲学者」は少ない。

愚者がほとんどで、賢者は少ない。

…よく言われることですよね。
「大衆の時代」などとも言われています。

本記事では、この「大衆」~「哲学者」に
ついて考えていきます。

この二つ以外の人はいないのでしょうか?
いや、いますよね。たくさん。
それは「専門家」と呼ばれる人たちです。

ある特定の分野「のみ」に通暁しており、
その分野については、とても詳しい。
ただし、分野外、専門外のことについては
下手をすると「大衆」よりも知らない…。

「無知なる者」つまり「大衆」と、
「知恵ある者」つまり「哲学者」との
間にいる、とでも言うべき新種です。
これらの「専門家」は、
近代に入って以降、たくさん増えてきました。

「自分の専門を持とう!」という
近代科学的な高等教育がそうさせた、
あるいは複雑な現代社会がそうさせていった、
という面もあるかもしれません。

ただ、一つ、ここに問題が出てきます。
「専門家」は、世の中の他人に対して
どんな態度を取るのでしょうか?


(専門外のことに対しては)
「無知なる者」を自覚して、
謙虚に、初心者のつもりで過ごすのか?
それとも
(専門外のことも知っているかのように)
「知恵ある者」を装って
傲慢に、上から目線の言動を行うのか?

…残念ながら、後者が、多く見られます。

つまり、専門外のことについては
「無知なる者」であるのに、
あたかも「知恵ある者」、つまり
哲学者としてふるまってしまいがちなのです。
特に、学問の蛸壺の中では。
また、テレビのコメンテイター空間の中では。
下手すると、国会の中でもそうです。

では、前者の人はいないのでしょうか?
「謙虚だけ」の方なら、いくらでもいますよね。

ただ「専門家」であるがゆえに、
「自分の専門を盾にして、
その色眼鏡を通してでしか
物事を解釈できない」とか、
「私の専門外のことですので
よくわかりません」という、
「自分の守備範囲に閉じこもる」方も、
またたくさんいるのです。

そういう消極的な態度は専門家ではない。
「無知なる者」、すなわち大衆だ、と
言えるのではないでしょうか?

つまり、専門家だと言われつつも、
傲慢な「エセ哲学者」になるか、
沈黙の「閉じこもる大衆」になるか、
そのどちらかになってしまうことが
とても多い
のではないか?

「エセ哲学者」は専門で権威付けされています。
しかし実際は専門外に中身がないので空理空論。
「閉じこもる大衆」は専門内で安住してしまい、
自分を厳しい専門外の環境に
積極的に自分をさらしていく勇気を持ちません。

『さて「専門家」を自称する皆様方。
あなたは、いかがでしょうか?』

…と、ここまで「大衆」と「哲学者」、
それに新種である「専門家」という
三つの立場を挙げて書いてみました。

むろん、この手厳し過ぎる問いかけは、
私のオリジナル論ではありません。
「大衆」という言葉でバレバレでしょうか?

そろそろ、元ネタを明かしましょう。

ここまでの文章は、
スペインの哲学者である
オルテガ・イ・ガセット(1883~1955)の
『大衆の反逆』という本の内容の一部
を、
ちょっとアレンジして、書いてみたものです。

このオルテガさん、
(ドラクエ3の主人公の父親じゃないですよ)
「大衆社会論」などの分野では、
必ずと言っていいほど出てくる方です。

「自分の行動になんら責任を負わず、
自らの欲望や権利のみを主張する『大衆』が、
支配しているのが20世紀なんです!
このままじゃ、まずいですよ!」

そう世の中に警鐘を鳴らした人。
まさに、ザ・哲学者と言えます。
これが『大衆の反逆』という本なのです。

…そう言われて、私自身も、
「実用地歴提案会」などと専門家ぶりつつ
つい「エセ哲学者」や「閉じこもる大衆」に
なりがちな面があると思いました。
おおいに反省しているところです。

専門外のことも謙虚に学ぶ。
専門のことを、専門外の人にも
よくわかるように、簡明に謙虚に伝える。

偉ぶらない。断言し過ぎない。決めつけない。
責任を負う。踊らされない…。

このご時世に無責任な「大衆」にならないのは、
なかなかに難しいことですよね。
かと言って自称「専門家」の盾に守られて
好き勝手無責任に言ったり
閉じこもったりしていればいいものでもない。
「エセ哲学者」になってしまって
上から目線で人心を惑わすのも良くない…。

幸い、リンクトインやnote上では、
多くの「行動する哲学者(候補)」の方が
いらっしゃいます。

自分なりに考え、自分なりに行動し、
謙虚に交流し、自分の軸をしっかり持って、
かつ、自分だけでなく他人にすら着実に
目指すべき「目的」を指し示せる方たちが…。

改めて、謙虚に学ばせて頂こうと思っています。

「井の中の大衆」「井の中の専門家」を
脱出するのに、SNSは、
とてもいいツールではないか、と思います。

「上には上がいる」「広い世界がある」
そういうことを常に感じることができますので。

さて、読者の皆様は、いかがでしょう?

「大衆」「専門家」「哲学者」のうち、
どれになりますか? なりたいですか?

自称「専門家」という盾に守られながら
傲慢な「エセ哲学者」や、
沈黙の「閉じこもる大衆」に
なってはいませんか?

知ろうとせずにただ騒ぎ立てるような
「ノイジーな大衆」や
知っているのに何も行動しないような
「自分だけが良ければいい自称天才哲学者」
になってはいませんか?

謙虚に、自分なりに学び、
交流し、発信していますか?


※オルテガの「大衆の反逆」についてはこちらも↓

※本記事は以前に書いた記事のリライトです↓
『大衆~専門家~哲学者』

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