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リスキリングリストラクチャリング

「個人」が、再度、スキル(能力)を見直す。
リ・スキル・イング。
これが「リスキリング」ですね!
「組織」が、再度、
ストラクチャー(構造)を見直す。
リ・ストラクチャー・イング。
これが「リストラクチャリング」ですよね。

…ただ、日本あるあるなんですが、
どうも外来語が独り歩きをしてしまい、
違った意味としてとらえられがち。

本記事では、これからの
リスキリングとリストラクチャリングについて、
経験も踏まえながら私見を書いてみます。

まず、リスキリングから。
Re-skilling。

『時代の変化によって
必要とされる新たなスキルや知識を、
従業員に身につけさせるために行う教育』

「リカレント教育とか、アンラーニングとか、
似たような言葉もありますよね。どう違うの?」

はい、リカレント教育は、
「自らの希望で新たなスキルを身につけていく」。
アンラーニングは、
「有効でなくなった知識やスキルを捨てて、
その代わりに新たな知識やスキルを身につける」。
リスキリングの意味は、これらとは違います。

あくまで「会社などの組織」が、
「これからはこのスキルや知識が必要!」と
従業員に提示し、身につけ「させる」。


「…最近、やけに『リスキリング』という
言葉を聞きますよね」

これは、世界的な動きが背景にあります。
『世界経済フォーラム(WEF)』の
2020年の年次総会(ダボス会議)において、
「2030年までに全世界で
10億人をリスキリングするぞ!」と
宣言したからです。その波にのっかっている。

…ここまでをまとめると、
リスキリングとは、どちらかと言えば
世界的な潮流、時代背景があるために
「受け身」で「やらなきゃいけない」という
意味合いが強い言葉。

次に、リストラクチャリング。
Re-structuring。

広義では『政治や経済、社会全体を
根本的な部分から再構築する』
という意味。
経営では『企業の価値を高めるために
組織改革や事業再構築に取り組む』
こと。

「…え、そんな壮大な意味が?
でもリストラ、と言えば
従業員を減らす、首を切るなどの
意味しか思い浮かばない
んですが…」

はい、ここに外来語由来の
「日本語あるある」が生じています。
本来の英語「Re-structuring」と
カタカナ略語の「リストラ」は、
かなり異なる意味で使われている。

「リストラ」というカタカナ略語が
日本に定着したのは1990年代。
バブル景気が崩壊した頃です。

「景気が悪い。やっていけない。
従業員を減らさなきゃいけないなあ。
でも、いきなりクビ!にはしづらい」

そこで使われたのが、Re-structuring。
日本流の終身雇用制度を放棄し、
「必要なスキルを持つ人材を
必要な期間だけ雇用(派遣労働)する
『米国流人事管理手法』」
を導入した。

「組織再編」の名のもとに事業を再構築する。
もう一度ストラクチャー、建てる。
ただ、従業員側から見れば、それは
「整理解雇」としか映りませんでした。

首切りのための方法…。

そのため、Re-structuringの一手法に過ぎない
整理解雇が「異常に」クローズアップされ、
「リストラ」=整理解雇という意味で
カタカナ略語として定着してしまった。

それは、現在でも続いています。

さて、ここまでをお読みになり、
読者の皆様はどうお考えになりますか?
ご自身のご経験は?

…私の経験を、少しお話しします。

私は2001年頃に新卒採用で社会に出ました。
超氷河期の頃。
以来、20年強、社会人をしてきた。

すでにバブルの崩壊後でした。

リスキリングという言葉は知らなくても、
「自分でスキルを身につけなきゃ」という
強迫的な意識がかなり強かった。
なぜなら拓銀や山一がツブれる様を
学生時代に目の当たりにしたから。
超氷河期で新卒就活では辛い目に遭ったから。
会社は個人を守ってはくれないんだな、と
思い込んでいた。

「リストラ」は当たり前でした。

知り合いの親世代がリストラに遭い、
職を失っていた話も聞いていた。
会社とは組織の論理で
平気で人の首を切るのだ、と感じていた。
折りしも1999年から日産のゴーンが
経営の立て直しを行っていた時期です。

小泉元首相は『人生いろいろ!会社もいろいろ!』
と国会においてワンフレーズで答弁。

そう、2000年代の初め頃は、
色々な規制や組織が「ブッ壊される」時代。
個々人にとって、リスキリングも
リストラクチャリングもへったくれもなかった。
テーマは「生きろ。」です
(byもののけ姫 1997年公開)。
とにかく「自己責任」でスキルを身につけ、
組織と個人の関係を考えざるを得なかった…。
今のようにSNSもありませんでした。

私は、塾講師から社会人のスタートに立つ。
「誰かに何かを伝えること」は、
どんな状況でも必要になると思ったから。
それを身につけておけば、
どこでも生きていけるように思えたから。

その後、紆余曲折はあるのですが、
根本は変わっていないように思います。

すなわち、組織とは個人は違う。
組織の論理で、何かを身につけさせたり、
人の職や仕事を奪ったり、そういう面がある。
ならば個人は、自分から何かを身につけたり、
職や仕事をつくったりしなければ…という意識。

…ただ、このように言葉で表現が
できるようになったのは最近のことです。
2019年からSNSでの発信を開始し、
自分の言葉で表現するようになってから。


SNS上で様々な方の言語化に触れ、
自分なりに言語化していき、
ようやく表現できるようになった。

最後に、まとめていきます。

本記事ではリスキリングと
リストラクチャリングについて書きました。

これは私の「個人的な」意見ですが、
リスキリングもリストラクチャリングも、
行う側、受ける側が「受け身」である以上、
あまり意味が無いように思います。

身につけ「させられる」
組織再編(人員縮小)を「させられる」
ただの風の前のチリ。
何かの拍子に吹き飛ばされるだけですよね。

そうではなく、自ら身につける。
自ら仕事を見つけていく。
いわば「セルフリスキリング」
「セルフリストラ」こそが今は必要。

身につけさせられる前に、身につける。
再編させられる前に、再編をしていく。
(首を切られる前に、見切りをつける)

「リ」は英語では「Re」ですが、
日本語では「離れる」「離」にも通じます。
今ある能力や環境は永遠のものではない。
チリのように諸行無常な面がある。だから、
あえて離して、自分なりに言葉にする…。

そういうことを行うのに、
SNSでの発信はかなり有効だと思うのです。
言語化は否応なく自分から「離す」行為だから。

読者の皆様は、どう思われますか?

皆様は自分から、安住しているそこから、
言葉として「離して」「話して」いますか?


※リストラクチャリングについてはこちらも↓

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