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1618年から1648年の三十年、
ヨーロッパ、主にドイツで戦われた戦争!
「三十年戦争」と呼ばれます。

日本史で言えば、
1615年に大坂夏の陣、1616年に家康死去。
家康が死んだ頃に始まった。
1638年には島原・天草一揆。
1651年に三代将軍家光が亡くなり、
第四代将軍の家綱が就任した。
幕府が盤石になった頃に終わった。

日本では初代家康、二代秀忠、三代家光、
江戸幕府の基礎が固まる、という頃。
その時、ヨーロッパでは、
まさに「戦国時代」とも言うべき
大乱世の時代を迎えていた
のです。

本記事では、この三十年戦争の
概略を書きます。

日本では島原・天草一揆が鎮圧されて
「キリスト教」が厳禁になりましたが、
ヨーロッパではこの教えを巡って
対立、せめぎ合いが起こっていた。
旧教徒と新教徒、
カトリックとプロテスタントの争い!

1517年、三十年戦争の約百年前、
ルターが「宗教改革」を起こします。
カルヴァンも起こす。
カトリックはローマ教皇の下で対抗。
「反宗教改革」と呼ばれるこの運動は、
カトリックを世界に広める形でも進められ、
1549年にザビエルが日本に来ました。
(ザビエルは、ザ・カトリックの人)

宗教改革の主な舞台は、現在のドイツ。
「神聖ローマ帝国」という国でした。
帝国、というと皇帝の下、
一糸乱れず政治が行われるような
「秦の始皇帝」や「歴代中国王朝」を
イメージするかもしれませんけれども、
違います。バラバラです。

なぜか?

神聖ローマ帝国の皇帝は、文字通り
「神聖」な「ローマ」の教皇によって
認められて就任します。
ゆえに、今のドイツより
今のイタリアのほうに目が向きがち。
言うなれば、ドイツ、ほっぽらかし。
そのせいもあって、帝国の中は
「領邦」と呼ばれる事実上の独立国が
三百以上もひしめく状態でした。

その一応のまとめ役が「皇帝」です。
当時は、七人の「選帝侯」によって
皇帝が選ばれる決まりになっていました。

マインツ、トリーア、ケルンの大司教たち。
プファルツ選帝侯(ライン宮中伯)、
ザクセン公、ブランデンブルク辺境伯、
ボヘミア王、の四人の権力者。

言わば「聖界の三人」と「俗界の四人」。
彼らによって皇帝が決められる。
ただ、ですね。この当時は、
「ハプスブルク家」という一族が
皇帝の位を独占、事実上の世襲になっていた。

…ハプスブルク家!

西のスペインと東のオーストリアを
中心とした一族です。
ヨーロッパの西と東は、ハプスブルク家!
ゆえにカトリックの勢力が強い。
フランスでも、カトリックがけっこう強い。
その間にあるのが
いまのドイツ、当時の神聖ローマ帝国。
ここでプロテスタントたちが多く生まれた…。

とある事件が起きます。

1618年、ボヘミア王である
フェルディナントの家臣(代官)が
プラハの城の窓から突き落とされた。
プラハは現在のチェコ、オーストリアの隣。
フェルディナントはハプスブルク家出身で
急進的なカトリックの人だった。
その家臣をプロテスタントの人たちが
突き落とす。新教派のクーデター!

人呼んで「プラハ窓外放出事件」
これが、三十年戦争の始まり。

ボヘミアの人たちは、
カトリックのフェルディナントに代わり、
プロテスタントのプファルツ選帝侯、
フリードリヒ五世を新王に選出します。

…即位すると、どうなるか?
先ほどの「選帝侯」のメンバーを
今一度、ご覧ください。

フリードリヒ五世は「プファルツ」と
「ボヘミア」の領主を兼ね、
選帝侯の「二票」をゲットする。
まずい。ハプスブルク家は焦る。
プロテスタントの神聖ローマ皇帝が
生まれてしまうかもしれない。

南ドイツの諸侯は
「カトリック連盟」を結成します。
対するフリードリヒ五世は
「プロテスタント連合」の有力者。
フェルディナントVSフリードリヒ!
対決の結末や、いかに?

…1620年に「白山の戦い」が起こります。
(チェコ語名で「ビーラー・ホラの戦い」)
この戦いで、カトリック側が勝った。
フリードリヒは逃げる。亡命。
ボヘミアのクーデターは失敗、
フェルディナントの下で
カトリックに戻っていったのです。
ボヘミアではクーデターを起こした
プロテスタントが徹底的に弾圧されます。

…しかしこの、強烈な弾圧、戦後処理が
各国のプロテスタントを怒らせた。
神聖ローマ帝国の中だけの話、
内乱ではなくなっていく。

1625年、新教国デンマーク王の
クリスチャン四世がイギリス・オランダを
味方につけて、神聖ローマ帝国に介入!
しかし皇帝側は、傭兵隊長であった
「ヴァレンシュタイン」を登用。
デンマーク軍を撃退します。
裏では、フランスがデンマークへの
間接支援をしていた。

1630年、新教国スウェーデンの王の
「グスタフ・アドルフ」
フランスの援助を受けて帝国に介入!
1632年には「リュッツェンの戦い」で
傭兵隊長とスウェーデン王が激突!
ここでスウェーデン軍自体は勝利しますが、
グスタフ自身は戦死します。
1634年、ヴァレンシュタインも
皇帝から謀反の疑いをかけられ、暗殺…。

(英雄を倒す猟犬は、強敵がいなくなると
消されてしまうものです)

1635年にはフランス王のルイ13世が
直接、ドイツに進撃していきます。
黒幕だったフランスが表舞台に立つ。
(本来、フランスはカトリック側ですが、
ハプスブルク家の支配を打倒すべく
プロテスタント側で参戦)

◆ボヘミアのクーデターと鎮圧(内乱)
◆デンマークの介入
◆スウェーデンの介入、リュッツェンの戦い
◆フランスの介入

…内乱が「国際戦争」に拡大していきます。
一進一退、終わらなくなる。
ずるずると、三十年も続く。

最後に、まとめます。

本記事ではヨーロッパの大乱世、
戦国時代とも言うべき、
「三十年戦争」について書きました。

ようやく1648年、ウェストファリア条約
(ヴェストファーレン条約)
で終結します。
この条約は、戦争の最中に戦死した
グスタフ・アドルフの娘、
「クリスティーナ女王」が主導しました。

ハプスブルク家の支配が揺らぎます。

新教国のオランダやスイスの独立が認められた。
カルヴァン派が公認された。
都市や領邦の主権が確認され、
地方分立が固定化した。

フランスとスウェーデンは領土を獲得し、
フランスでは「太陽王」ルイ14世の
治世が始まろうとしている(1643年即位)。
プロテスタント側の勝利です。

…ただ、三十年も戦争が続いた
神聖ローマ帝国はまさに悲惨の一言。
人口の20%、800万人以上の死者が出た。
1871年に「ドイツ帝国」ができるまで
地方分立の時代が続いていく。

地方分立しながらも
幕府の下で統一、平和だった日本。
地方分立が固定化され、まとまらず、
戦国時代状態が続くドイツ…。


17世紀~19世紀の日本とドイツは、
かなり違う歴史を歩んでいるのです。

この戦争のことを、
大人気の戦国時代漫画『センゴク』を描いた
宮下英樹さんが漫画にしています。
よろしければ下記のリンクからぜひ!

◆宮下英樹さんの描く
『神聖ローマ帝国 三十年戦争(1)』↓

◆日本が江戸時代の時に
ひたすら戦争していた西洋についてはこちら↓
『眠る江戸、戦う西洋』

◆ウェストファリア条約を結ばせた
クリスティーナについてはこちら↓
『魔女狩りとグスタフ・アドルフの娘』

◆フランス王国の全盛期を生み出した
ルイ14世についてはこちら↓
『ヴェルサイユの太陽』

◆ボヘミアやプラハを含む、
チェコの歴史はこちら↓
『滑らかなチェコ、アツい情熱と複雑な歴史』

合わせてぜひどうぞ!

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