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何かを「かく」ことによって
得られるものと、失うものもある…。
そんなことを「かいて」みたいと思います。

日本語には同音異義語というものが
多数存在しまして、
「かく」という言葉についても
それはもう、たくさんありますよね!

試しに、スマホで「かく」と入力して
変換すると、候補がもりもり出てきます。

まずはオーソドックスに、
「書く」から、考えてみましょう。

主に「言葉を書く」ことに使われます。
言葉で書くというのは、
小難しく言えば、多くの人が
共通で使っている記号とルール
(文字と文法)に基づいて
視覚的に表現していく行為、です。

本来であれば、あわあわとした
情景や事象を「言葉」にしていく…。
「見える化」「言語化」していくのです。
これによって「残す」ことができる。
過去の誰かが「書いた」ものを
目にすることによって、未来の人が
その時の状況を思い起こすこともできる。
追体験、空想、妄想も、広がったりする。

ただ、書くという行為は
効能と逸失の両方がある、ということは
前提として知っておきたいのです。

「欠く」と書けば、欠ける、欠損する、
という意味になります。
つまり、書き手が主観的に
言葉を用いて、取捨選択して
「書く」ことにより、
何かを「欠く」ことにもつながる。

「見える(見せる)化」というのは、
「見えなくなる(見せなくする)化」
表裏一体です。
言葉にされたものは「見える」ように
なるんですけれども、その裏では
言葉にされなかったものが「欠けていく」。

なかったことにされがち、なんです。

一方で、針小棒大、という言葉もあります。
誇張。小さなことを、大きく表現する。
膨らませる。そういったことも、できる。
些細なことが重要であるように錯覚される…。
この場合は、物事を「書く」ことによって、
真実を「欠く」ことになりがち
です。

例えばSNSでプロフィールを「書く」。
書かれたものは見えるようになりますが、
同時に書かれないものは
「欠く」ことになります
よね。
他の例で言えば、誰かの会見や発言を
「切り取る」ことによって、
あたかもその言葉だけでその人全体が
表現されがちなのと、同じです。

…では、言葉以外で「かく」ことは
できないのでしょうか?
できますよね。「描く」こともできる。

主に「絵」を描く、と使われます。
言葉以外で表現すること。
言葉を知らない人にも通じやすい。
ただし、絵も範囲に制限がありますから、
「欠く」ことにつながるのは同じです。
画像を「トリミング」すれば、
端から先は取り除かれてしまいます。
なかったことにされがち。

針小棒大に「描く」ことすらできる。
コマ割りやデフォルメを多用する漫画は、
いかに大事なことを強調して
いかに些末なことを「欠く」か、
そういった表現方法でもあるのです。

…さて、ここまで「書く」「描く」と、
「欠く」の関係
について、書きました。
視点を変えて、他の「かく」という
行為を考えてみましょう。

「掻く」と書けば、かゆいところを掻く、
という意味になりますよね。

…確かに、書いたり描いたりすることで
「すっきりする」ことはある。
モヤっていたことを書いてもらうことで
すっきりしました、などとも言われる。

ちょっと際どい表現で恐縮なのですが、
自分自身で欲求を解消する、という行為を
「かく」と表現をすることもあります。

SNSなどでは、時々、
「そんなことまでかかなくても…」
「もうやめろ、…やめて!!」
と読者が思いたくなるような
自虐的な表現をされている投稿もある。
特にTwitterなどでは。
吐き出すかのように。

また、漫画家さんなどが
人智を越えた表現をする。
そんな時には「何かに描かされている」
という想いを持つことがあるそうです。
何かが憑依したかのように、
とりつかれたかのように「かく」…。

ライターズ・ハイ。ペインターズ・ハイ。
そうすることで恍惚を得るような、
「自己の欲求を発散・昇華」するような、
そんな一面も「かく」行為にはある。

もう少し、広げてみましょう。
漢字で「かく」場合、それこそ
「かく」と読む漢字はたくさんあります。

例えば「書く」ことで、どうなるか?

◆核:コアを発見することができます。
◆角:尖って人を傷つけることもある。
◆各:人それぞれの文がありますよね。
◆格:格付けしたり、されたりもする。
◆確:文字にすることで確認もできる。
◆覚:覚えるため覚醒するために書く。
◆隔:人と人とを隔てるのも文章から。
◆較:人と人とを比較したりもします。
◆拡:世界を拡げることもできますし、
◆郭:城郭に、こもることもできます。

きりがないので十個の漢字に留めますが、
とにかく「かく」ことによって
自分のコアを発見したり、確認したり、
人とつながったり、人から離れたり、
そういうこともできる、のです。

では、そもそもの語源を確認していきます。

書く・描く・画くは、すべて
「掻く」から生まれた、と言われています。
土や木などを「引っ搔いて」、
しるしをつける、痕を残すことから。

線で文字という記号を掻けば「書く」。
絵で風景を省略して掻けば「描く」。
そう、そもそも「かく」とは
「何かに傷をつけて残す行為」なのです。

口に出す音声は、録音しない限りは
残りませんけれども、
それが記事などで「書かれる」ことで
傷となり、残ってしまうことも、ある…。

歴史の例で行けば、
吉田茂元総理の「バカヤロー解散」など。
国会で思わず「バカヤロー」と
つぶやいたのを野党議員がつっこみを入れ、
本人は「取り消します」と言ったが後の祭り。
新聞で大々的に「書かれた」ことにより
歴史に残ってしまった…。

一方で、負傷をするのではなく、
「心に刻まれる」こともあります。

それを意識的にやっていたのが
ご存知、小泉純一郎元総理でしょう。
「痛みに耐えてよく頑張った。感動した!」
と大相撲の表彰式で言った言葉は、
色んな媒体で「書かれて」残りました。
(本記事でも書きやすいので書いてしまう)
ワンフレーズ・ポリティックス!
印象的な言葉を使い、心に刻む。刻ませる。
その達人であったように思うのです。

最後に、まとめます。

本記事では「かく」ことについて
書いてみました。
どちらかと言うと「かく」ことの
「裏」について、書いてみました。


ただ「かく」ことは
それ行為自体に意味があるわけではなく、
あくまで手段、方法、ツールです。

肯定的、否定的、どちらの意味も
含まれ得る行為ですから、
「意味づけ」をするのは「かき手」であり、
「受け手」であるように思われます。

そのような「危うさ」も確認しつつ、
「欠く」ことを恐れ過ぎずに
私もまた書いていこう、
「書き」「混ぜる」ことで
「分けていこう」
と思います。

さて、読者の皆様は、どのような想いで
日々「かいて」いくのでしょう?
何を残していきますか?

※「裏をかく」という言葉については、
ドラゴン桜の桜木先生とヒマワリさんの
解説記事をどうぞ↑

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