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『らーめん再遊記』という漫画があります。
これが、実に味わい深い↓

主人公は「ラーメン界のカリスマ」と呼ばれた
芹沢達也という男。スキンヘッドメガネ。

万が一にもラーメン調理中に髪の毛が入っては
いけない、というこだわりから
あえてスキンヘッドにしている、という
いわば「ラーメンバカ一代」です。

彼は、前々作、前作においては、
「敵キャラ」「ラスボス」の
立場で登場していました。
『美味しんぼ』で言えば海原雄山ポジション。
主人公の青さ若さを指摘し、
うんちくを語り、物事の真の課題を突き付け、
越えられない「高い壁」になったキャラ。

その「ラスボス」が、今度は主人公。
この漫画はシリーズ三作目なのです。

本記事はこの漫画の紹介から
「立場をあえて降りてみること」を書きます。
(前回の記事では「仮面をつけることで
立場をあえて仮に上げてみること」を
書きましたので、その逆バージョンです↓

興味のある方はぜひ)。

主人公芹沢は、ラーメン界では超有名!
まさにカリスマです。

そんな彼が「弱くなる」ところから
この漫画は始まります。

『中年による中年のための漫画』
評されることもある。
中年リバイバル、サバイバルの漫画。

情熱のまま色々とやらかしながらも
突っ走ってきた芹沢に、衰えが見え始めます。

そのため、彼は自らの組織のトップの座を
若き才能に譲り渡し、
「一個人」としてラーメンについて
さまざまな立場から再考していくのです。

言わば「煮干し」のダシのような
ビターさ、ほろ苦さがある漫画…。

前々作、前作は若者が主人公だっただけに、
いぶし銀のような味わいがある物語。

ネタバレし過ぎを防ぐために、
実際の物語は漫画を読んで
確認していただくとして、

ここでは「立場を降りること」について
考えていきましょう。

…人間、どうしても「上り詰める」と
高いところからの視点になりますよね。
上から目線。
お前のたどってきた道は、
昔に自分がたどってきた道だ!と。

格闘漫画『グラップラー刃牙』でも
中国拳法の達人、烈海王が
日本の空手家、愚地克己に対して

『キサマ等の居る場所は既に
我々が2000年前に通過した場所だっっっ』

と喝破する場面がありました↓

まさにそんな感じで、トップの人は、
どうしても「下の者」に対して
「ナチュラル上から目線」になりがちです。

そのままでいい、と思うなら、
ずっと塔の上にいればいい。
高いところでないと見えないものもある。

しかし、世の中は常に変わっていきます。
自分が「下」にいた頃の常識は
どんどん変わっていく
もの。

昔の常識は、今の非常識…。
これは古今東西、変わらない。

でも、トップにいる者が、
「今の常識」を手に入れるために、
あえてその座を去り、下に行くことが
可能なのかどうか?

…それは、その人次第、ですよね。
下から上に昇るのと違い、
自分が権限を持っているのなら、
上から下に降りることは、
決断次第ですぐにも可能
、だと思います。

それをするかどうか、の問題。

『らーめん再遊記』の中で芹沢は、
実際にそれをやりました。

彼は、チェーン店のラーメン屋に
一人のバイトとして
その正体を隠して潜り込むのです。

かけがえのない人、アドリブの存在から、
かけがえのできる歯車、スペアの存在へと、
自らの立場を「あえて」変えていく…。
DXならぬ、PXです。
ポジション・トランスフォーメーション。


もちろんそこには彼の利己的な目的があります。
「俺が俺が」で自分の目指すラーメンを
ひたすら追い求めてきた彼。
その中で見えなくなったものがある。
そこでいったん「自分」を無くすために、
誰かの下で「機械的」に
「こき使われる」立場になってみる…。

複数の視点を、持つ。
なり替わって「想像」する。

そのためにはかなり有効な手法か、と思います。
(もちろん漫画なので
かなり戯画的で極端な手法ではありますが)

少し歴史の例を挙げます。
ロシアのピョートル一世(大帝)
こういうことをやっていますね。

1672年~1725年。17~18世紀の人。
日本で言えば八代将軍徳川吉宗のあたり。
「ロシア史はすべてピョートルの改革に帰着し、
そしてここから流れ出す」とも言われた
ロシア近代化の立役者です。

彼は皇帝の子どもとして
何不自由なく暮らせる上の立場でありながら、
西欧の近代文明を「自ら」学ぶべく、
大使節団を派遣します。

その際に、ピョートル・ミハイロフという
偽名を名乗り、使節団の一員に潜り込み、
自由に行動するのです。
オランダのアムステルダムでは
東インド会社の造船所で船大工として
つまり一労働者として働いた
そうです。

…芹沢がラーメン店で一人のバイトとして
正体を隠して働いたのと、どこか似ていますね。

その後、ピョートル一世は帰国し、
その「肌感覚」で習得した
西欧の優れた技術と知識を教え込みます。
彼は、自分の国を強くするために
上から下に潜り込んだのです。

ただ、芹沢はちょっと違う。
あくまで「自分の視点」を増やすため、
「遊ぶ」ために、次の場所へと去っていく…。

再遊記=「再」び「遊」ぶ「記」録。
芹沢は「ラーメン界」という舞台で
上に昇る中でいつのまにか見えなくなった
死角に飛び込み、遊んでいるのです。

最後に、まとめます。

「あえて上から下に降りてみる、
それが有用だ、というのはわかります。
でも私には果たすべき業務、責任がある。
すべてを放り出して遊ぶわけにはいかない」

そのように真面目に考えて頂ける
トップの方もいる、と思います。
その心意気や、素晴らしい。
トップの鑑。しかし、

別に、すべてを放り出さなくても、
遊べますよね?
前の記事でも書きましたが、
「仮面」をつければいい。

芹沢は社長を辞め、一個人として
バイトになりましたが、

トップの座にいながら、
どこか知らない場所でバイトとして勤めたり、
SNS上で複業を始めてみたり、
ボランティアをしてみたり、

そういうことは、できますよね?
ただ、やらないだけで。

繰り返しますが、自分次第の話です。
忙しいから。いまの仕事に集中したいから。
そう言って、やらないのは自由。

ですけれども、ナチュラル上から目線、
自然と「今の現場の常識」から
離れていくことを防ぐために、

芹沢のように、ピョートル一世のように、
あえて「自分の死角」に飛び込んで
「(真剣に)遊んでいる」トップの人も、
この世には無数にいる
のです。

そういう人に比べ、
いや、私はここにいるだけで
すべての視点を手に入れているので、
そんなことをする必要ない、と思われるなら
しなくてもいい、と思います
(そういうのを「ナチュラル上から目線」と
世間では呼びますが…)。

そうでないなら、仮面をつけてみるのも
いいのではないでしょうか?

以上、本記事は
『らーめん再遊記』を紹介しつつ、

あえて上から下に降りて
「再び遊ぶ」ことを提案した記事
でした。

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