【連載小説】2-Gのフラミンゴ⑥


 目隠しをした人に、「これからあなたの皮膚に熱した鉄の棒を押し当てます」と告知して、実際には常温の、(だからどちらかと言えば冷たく感じる筈の)鉄の棒を押しつける。すると、不思議なことに、押しつけた部分が本当に火傷になるという。
 あるいは何の変哲もない水だか粉だかを劇薬または妙薬と偽って飲ませると、本当に苦しくなったり、痛みを和らげたりする効果が現れる。プラシーボ効果、ナシーボ効果。これ、気のせい、とかいうレベルでなく、本当に病気が治ったり逆に病気になったりするというのだから不思議なもの。
 想像妊娠というのは・・・・・・、とこれ以上例を挙げるまでもなく、人間の気持ち、思い込みというものは、身体に変化を、【もたらす】。もう一度言おう、【もたらす】。そして、個人差も大きい所なのだろうが、こと、私に限って言えば、気持ちが、
 激烈に、
 身体に影響するタイプの人間だった。嫌なことがあると食欲がなくなるし、怖いとすぐに震えたり青ざめたりしてしまう。焦れば滝のように汗をかき、ときめけばぽっとりんごのように紅潮もする。
 一点、付け加えることがあるとすれば、私はドラゴンボールが好きだった。
 以上、前置き。
 以下、本題。 
 
 あれは十月半ば、確か火曜二限の社会科の授業だった。
「弥生時代に活躍した日本の女王、誰なんだよ」
 社会科の川島先生の台詞だ。何故こんなけんか腰になっているのかというと、既に同じ質問を繰り返しクラス全体に向けて発していた(およそ十三分間)が、誰も答えようとしなかったから。
「邪馬台国のさ。女王だよ」
 川島は問い続ける。ここで川島の姿・形には触れない。言動のみを問題とすれば足りるからだ。年齢・性別にも言及しないことにしよう。
 邪馬台国の女王。
 既に一年の時に習った筈の内容を何かの流れの中で川島は質問したのだった。分かっていて答えない者と、本当に分からず答えない者とあっただろう。私は分かっていた。――卑弥呼だ。
 私は卑弥呼ママの血をうっすらだけれど引いており、後にSNS上で、その漢字の持つ意味があまり良い印象を人に与えぬことはじゅうじゅう承知の上で「卑」の字を一字貰って卑呂亀(ひろき)を名乗ることになる程にはこの女王を愛していた。
「分かるやつ・・・・・・。いいよ、わざわざ挙手して答えるような問題じゃないんだよ。すっと答えてくれればいいんだよ、何で誰も答えないんだよこのクラスは・・・・・・」
 川島はかなりいらいらしている様子。こんな質問の仕方に、私は死んでも答える気はなかった。明確に「沼越、分かるか?」と問われれば渋々だが答えるつもりはあった。しかし私は中学二年生だった。自分に聞かれたわけでもないのにわざわざ僕分かりますアピールなんて絶対にしない。
「お前らほんとしょうもないよな。このクラスはほんとにしょうもない。分かるだろうよ、分かる奴いるんだろうよ。何でうんともすんとも言わねんだよ」
 川島はますますイライラしているようだったが私もいい加減イライラしていた。
 川島としては、川島が何かを軽いのりで聞く→クラス内の誰かしらが、ハイ〇〇です! と答える→川島が「おお、そうだな〇〇だ。でその〇〇は――」という流れ・雰囲気で授業を進めたかったのだろう。何となく、慕われている感じ、ちゃんと授業を聞いています、先生の言葉、ボク達ワタシ達ちゃんと聞いてます感を感じたくて。
 悪くない。活気溢れる授業風景、生徒としても望むところ。が、この時私は絶対に答えたくなかったし恐らくこんな簡単な質問少なくともクラスの半分以上は分かっていた筈だが誰一人、答えたくなかったのだ。
「邪馬台国の女王だよ。・・・・・・ひ・・・・・・? 誰か答えろって! ひ? み?」
 川島はとうとう教卓の横の椅子にどっかりと腰を下ろし、
「誰か答えるまで次行かねえかんな」
 と宣言した。
 まるで私達が次へ行くことを望んでいるかのような言いぶりだった。
 私達が中二を終わり中学三年になりやがて卒業して、このクラスに次世代次々世代の生徒が来ても、一生その椅子で卑弥呼を待っているがいい。ばか。
・・・・・・、と内心に呟きながら、【ところで俺、こんな風な言葉遣い、反抗的な態度をたとえ内心のこととは言え、する子だったっけ・・・・・・、】と、まだ冷静なメタ自我が、暴走しようとする自我を観察していた。
「誰か分かりませんかぁ???馬鹿ばっかりですかぁ・・・・・・」
 誰かじゃなくてせめて指名して聞けばいいのに。いや今更、名指しで聞かれても、答えたくないけどね。だって名指しで聞かれて答えたら、「お前何で分かってるのに答えなかったんだよ」ってことになるじゃん、っていうか、言うじゃん。【って何で今俺の内心はこんなに荒ぶるのだろう、俺ってこんな人格だったっけ。何か、息苦しい。この空気は何なのだ。】
 ふと見やると。
 窓が全部締まっていた。
 校庭側の窓も、廊下側の窓も。
 教室は、四角いなぁ・・・・・・、誰か割りに来てくれないかなぁ。
「このクラスで一番頭いいの誰だ」
 低く沈殿したような声。川島が問いの内容を変えた。我々を値踏みするようにクラス内を見渡す。もう既にこんな冷え切った空気に自分でしておいて飽くまでやる気のない生徒の側が悪いとしか考えられないところ、本当に、如何にも教師という人種ですね、呆れます。頭いいの誰だ、ってこの局面においては地頭ってことではなくて成績がいい奴ってことなんだろうか。曖昧だし、どのような意味で解釈しても馬鹿げた質問だった。少しでも気を紛らせたいのと、正面を向いていたくないという気持ちがあり、首を40度程度回し、校庭の方へ顔を向けた。大いちょうが泥のような秋風に吹かれて黄色の葉を散らしていた。
「おい! 一番頭いいの誰なんだよ!」
 この頃には、かろうじてウサギの輪の端っこにはいるかなどうかなくらいの立ち位置には立ってるかなどうかなという立ち位置に私はいたが、相変わらず王にはなれていず、やはりどこか一人浮いている感じは否めず、誰かを犠牲にしなければならないならば沼越で。という空気がクラス内に醸成されていてもおかしくはなく、私が犠牲の羊にされる可能性はあった。めんどうなことになった。今更名乗り出るも地獄、売られるも地獄。
 幸い誰も私を売ることはなかったが、
「誰なんだよ」
 川島は何やら持参のファイルのようなものをペラペラめくり出し、「調べりゃ分かるんだからよ。前のテストで一番点数良かった奴なんて」
 しつこ。
 この大人は、この公僕は、いったい何がしたいのだろう? フラミンゴピンクの星眉女や、金髪銀ラメ赤特攻服のケンタウロス(雄)を放置して、前回テストで成績の最も良かった者を見つけ出してこれから何をしようというのだろう? 
「スズキだな」
 とここで川島が意外な名を口にした。スズキ。
 スズキさん。
 大人しそうで黒髪で小柄なこの女子は、……このように書くと既出の真壁さんとキャラがかぶるようだが真壁さんではなくてスズキさんで、スズキさんは実は初登場ではない。冒頭、入学式で私がゲロを吐きかけてしまった女子だった。
「おい、スズキ! お前分かってんだろうが!? 頭いいんだから! 分かってて何で答えないんだよ! おい顔上げろスズキ!」 

つづく
(次回は3/6水曜更新予定です)

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