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何かの力が動いているのかなぁ

人生には『こんなことがあるんだ』ってことが何回か訪れます。
今回は私にとって忘れられない悔しい出来事と、嬉しい出来事を書きたいと思います。

虫の知らせ(予知夢?)

私は夢を見ても朝起きると何も覚えていません。
しかし10代の頃に見た4つの夢は朝起きてもはっきりと覚えていたのです。
そして4つの夢は人が亡くなる夢で、それが誰なのか、場所はどこなのかはわからない夢でした。

1つ目は、雪が降っている夜の道路に人が倒れていました。
数日後、親戚のおじさんが亡くなったと知らせが届きました。
小学生だった私は死因を気にすることもなく、泣きじゃくる従兄弟の横に座って悲しんでいるだけでした。

2つ目は、バイク事故。後ろに乗っている人が振り落とされ道端に倒れこむ夢でした。夢を見た日の夜、私の友人が運転するバイクの後ろに乗っていた知人が転落して亡くなってしまいました。
実はこの日、私と友人は一緒に昼食を取っており、夜走ろうと誘われましたが、私は変な夢を見たから今日はやめておくと断っていたのです。

3つ目と4つ目は、私が勤めていた会社の後輩の死でした。
1人は自宅のクローゼットで自殺。
もう1人は信号無視をした車に衝突され即死でした。
3つ目の時には、なぜ悩みに気づいてあげられなかったのかと自分を責めました。また、夢を見たことをみんなに伝えていれば助けられてかもと悔やみました。
そして4つ目の時は朝から友人や知人に連絡し注意を促しました。ただこの後輩だけが連絡がつかなかったのです。

後輩の葬式で住職さんがこんなことを言っていました。
「これから人生で故人をふと思い出すことがあるでしょう。その時は故人があなたに会いに来ています。手を合わせて故人を思い出してあげてください。」
それから私は、この話をする時は手を合わせて彼たちを思い出すようにしています。

神様が見ているんだなぁ

中学を卒業した私は、母親の知人が運営する地元の小さなスーパーに就職しました。配属先は八百屋。パートのおばさん2人と私の3人で、裏の駐車場横にある小屋で作業をします。
1人のおばさんは私が就職して4か月間、一度も挨拶をしてくれませんし、会話もしてくれません。とても辛かったのですが、私は負けるまいと挨拶を続けました。

学生が夏休みに入った7月のある日。
スーパーから少し離れたたこ焼き屋さんにスクーターを走らせ、キャベツを配達した帰り道のことです。
泣きながら自転車を押している小学生の男の子がいたので、スクーターを止めて理由を聞くと、パンクして乗れない。との事でした。
聞けば友達の家に行くところ。と言うので、小さなころから自転車を分解したりする事が好きだった私は、パンク修理が朝飯前。しかし道具がありません。
もう少し先に古い自転車屋がある事を思い出した私は、男の子にそこまで来るように伝えて先に自転車屋が開いているか確認しに向かいました。
玄関を開けると頑固そうなお爺さんがいました。
私がパンク修理セットをくださいと言うと、
「お前みたいな不良に売ることはできん。」
事情を説明したが
「うそをつくな!」と。
言い合いをしているところに男の子が到着。
私は強引にパンク修理セットを奪い取りお金をテーブルに置き、店の外で修理を始めました。
修理が終わると男の子は
「ありがとう!」
と笑顔で走って行く。
私は、残ったボンドを店の床に投げつけて油で真っ黒な手も洗わず悔し涙をこらえてスクーターで走り去ったのです。

8月に入り、サウナのような小屋で作業をしていると駐車場に自転車に乗った男の子が!

近寄ってきた男の子が
「おかぁ~さ~ん」
えぇ!噓でしょ!私がパンク修理をした男の子は挨拶をしてくれないおばさんの息子だったのです。

おばさんにパンク修理の一件を話すと、知らないお兄ちゃんに直してもらったって、息子から聞いていたよ、まさかあなただったとは!

翌日から挨拶をしてくれるようになり、いろいろと家族の話をしてくれるようになりました。頑張って挨拶を続けて来て、本当に良かったと思った瞬間でした。

沢山の出会いの中で、世間って狭いなぁと思うことが多くありました。
同時に正しい行動を取って来て本当に良かったとも思いました。

最近、20年以上連絡を取っていなかった後輩が社員になったり、両親の母校(岐阜県高山市)に配達に行ったり、昔の同僚やお世話になった方と再会したりと、色々な事で縁が繋がり、50代を楽しむために何かの力が動いている気がします。

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