僕や君ではなく社会が間違っているという言葉

「生きてるだけで丸儲け」と明石家さんまが言った。
とても好きな言葉で励まされた人も多いと思う。
なのに、僕たちの世界では生産性という地獄のような呪いの言葉で満ち溢れている。年間に何百万、何千万稼いだことがステータスになっている。
低賃金の人間に発言権はあって、その言葉に誰かが応えてくれるのか。同じ言葉を使っても誰が話したかで変わる。虎の威を借る狐なんて言うけれども、誰もが金の威を借りる。

本当は優しさや愛だとかそういった言葉や気持ちは、生産性という地獄のような呪いから遠く離れているはずなのに、いつだって僕たちは距離を置いてしまう。
まるで、優しさや愛がどこか遠くにある特別な存在で、ありふれたものでは無いものしてしまって、お金で手に入る何某が当たり前だと諦める。
お金がなくても幸せ、なんて言葉を欺瞞に変えてしまい、子供達の将来に学歴を押し付けてしまう。
馬鹿に生まれてしまったら、馬鹿が多い環境に生まれてしまったら、障害を抱えていたら、病気を抱えていたら、挫けてしまったら、泣いてしまったら、立ち上がることが出来なくなってしまったら、助けられるだけの人になってしまったら。

赤ん坊は泣くだけで愛されるけれども、いつまでも赤ん坊のままではいられない。生きているだけで、うんこを垂れ流す人間は卑下の目で見られる。

障害者には優しくしましょう、尊重しましょう、パーフェクトヒューマンを歌わせましょう。でも健康な体で健康な心を持っているあなたは努力して努力して努力して努力して努力して努力して努力して、たくさんたくさん生産性を上げましょう。
できない? それはダメな人ですね。
心を病んだ? それは可哀想に、ゆっくり休んでください、大丈夫です、みんながいます、愛しています、大丈夫です、尊重します、尊敬します、なんて頑張っているんでしょう、無理をしないで、大丈夫、あなたは一人じゃ無い。
優しい言葉をかけられるのは、私が劣等人間だからですか。

誰でにでも優しくしましょう、挨拶をしましょう、お友達が嫌がることはやめましょう。保育園児が習うことも僕たちは実行できない。
自分の意に沿わない人間を排除することに躍起になって、日本語がたどたどしい外国人を笑う。自分で動けない障害者を殺す、そして匿名掲示板でそれを肯定したり、半分匿名のTwitterで賛美したりする。

僕はね、そういうのが嫌なんだよ。
僕は仕事をしている、特別できないから差別をされている、というわけでも無い。でも、そういうのを見たり聴いたりするのは嫌なんだ。
優しい声を聞いたり、それが当たり前であったりして欲しいんだよ。

生産性という地獄のような呪いの言葉が大嫌いなんだ。
あなたはあなたのままでいて素晴らしく、存在してくれてありがとう。
そういう言葉が好きなんだよ。

そういう言葉が好きなんだよ。


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