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それは自分も歩んできた道

学生の頃、

「もし今、わたしたちが親になったら、もの凄く良い親になると思わない?

だって、こんなに学生の気持ちが分かるんだから」

と友人に言われたことがある。

その時に、

『今は学生なんだから、学生の気持ちが分かるのは当たり前だし、大人になって親になったら、その時は親の立場で物事を考えることになるから、自分が学生の頃の気持ちを覚えていたとしても、それ以上に、親の立場での思考になっているはず』

と、友人に返した言葉は夢も希望もないものだった。

友人はムッとして、「わたしは絶対に覚えていて学生の頃の気持ちを大切にする」と言った。

わたしは、どうでも良いことだったので、そこで話を終わらせた。

夢も希望もない言葉を出したが、わたしも「絶対に学生の頃の気持ちは忘れない!」と思っていた。

でも、忘れるんだろうな…とも思っていた。

親にはならなかったが、学生の頃の気持ちはスッキリと忘れている。

というか、思い出す理由がない。

だから、思い出さない。

でも、若い子の言動にイラッとすることがあるけれど、少し引いて考えると「わたしも、そうだった」と思う。

いや、もっと酷かっただろうと想像する。

その時、周りの人たちは、どれだけの迷惑を被っていたのか?と思う。


人は年々進化し、わたしの若い頃と今の若い人たちでは、考え方など全く違うのだろう。

でも、仕方ないことだと思う。

人それぞれの考えで、その時代に応じたような考えをするのは当然であって、それが適応力というものなのかも知れない。

わたしも、考え方など全く違う大人たちに迷惑をかけながら生きてきた。

みんな、迷惑をかけながら学んで、その時々に適応するように生きていく。

感謝いたします。