本当はひと言で済む話
まるで深い深い海の底を這うような、重さと息苦しさの中で働いていたここ数週間。
それはなぜかというと、ひたすら数字を並べ立て、その高い低いを操作し、ある適切な数字を導き出す作業で、その膨大な数字の無機質なやり取りに、私はすっかり疲弊していた。
もともと数字に色が見える私にとって、数字を量として捉えることが難しく、しかし、色で捉えたままでは仕事がやりにくいため、気づくといつの間にか真っ白にして、数字に立ち向かうことになる。
すると、無色、無味、無臭の数字たちが怒涛に押し寄せ、親しみは一切なくなり、私の心は完全に封じられた状態となる。
そんな日々にいよいよ限界だ、と思った最後の最後に、私を一瞬浮上させたものがあった。
それは、『文章』だった。
その仕事の延長で、一部、文章を必要とする場面があり、書き直さなければならなくなった。
私は突然、息を吹き返したかのように、すっと文字を繰り出し、わずかな節を素早く書き上げた。
上司からは、すんなりオッケーが出た。
数字はあれほどこねくり回しても、なかなか定まらないに。
ああ、私はこれが好きなんだ。
私の居場所はここだけだ。
大げさではなく、そう感じた。
文章を組み立てることが好き。
美しく滑らかに整えるのが好き。
単なる自己満足かもしれないが、それでも良い。
もっとこの場所にいたい。
もっと自分らしく生きるためには、私にとって『言葉』はすごく大事なのかもしれない。なんて今更。
好きなことだけできる仕事なんて、この世にはないのかもしれないが、苦手をしないで済む仕事なら、実はあるのかもしれないと思うと、何やらソワソワしてくる。
私は、今からそれを探すべきなのかどうか。
不惑の四十は一体どこにあるものなのか。本当の意味を学ぶべきか。
仕事の一つの山場を越えて、今、また考え始める。
私の惑いは、増すばかり。
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