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大学に行くわけ

去年の5月に高校を卒業し、帰国してから10ヶ月が経とうとしている。
今さっき、これまでの10ヶ月間とこれからアメリカに行くまでの約5ヶ月について考えていたのだが、唐突に頭の中にこんな呟きが生まれた。

「別に、大学行かなくても私はやりたいことやりながら生きて行けそうだな」

自分で呟いといて、正直戸惑った。この戸惑いの原因と、本当に「大学に行かなくても大丈夫」なのか、noteにでも記録しながら考えようと思いついたので書いている次第だ。


まずはこの「大学行かなくても大丈夫なのでは」と呟いたワタシについて、何を思ってこの結論に至ったのか聞いてみよう。

卒業から今日までの10ヶ月間、ワタシは自分の心が赴くままに日本各地を巡った。目的は、精神障害の当事者・支援者をはじめとした"障害"に関わる人々と出会い、彼らと言葉を交わし、共に"障害"を考えることだった (単純に、そうしたマイノリティ性を持った人間が集まる場所がワタシにとって快適だったというのもある)。
次第に精神障害を持つ友達が増えた。彼らと共に過ごすことは刺激的でとても楽しかったし、何よりワタシが、普段生活している世界よりも生きやすさを感じることができたのだ。
出会ってきた人々は大抵、すでに作られたコミュニティの中で生きているか、コミュニティを自らの手で作り上げていた。トラブルは起こり続けるものの、仲間と共に生きていた。
ワタシはそんな彼らをとても羨ましく感じたし、自分でもこんなコミュニティを作りたいと強く思った。
そう思っていた矢先、ワタシが"障害"に関する活動に深くのめり込む前から仲良くしていた友人の中の数人が、精神病を発症したり、精神的に不調になり始めた。
そしてワタシはこう思った。
「今こそ、ワタシが自分でコミュニティを作る絶好のタイミングではないか」

そう言うワケで今のワタシは、コミュニティ作成意欲をメラメラと燃やしているのだ。
でも、ワタシが日本にいられる時間は限られている。9月になれば、アメリカに強制出航だ。それまでの数ヶ月間で、どうにかワタシがいなくても大丈夫なくらいのコミュニティを作りたい。
もしそれがうまく行ったら、地域に愛されるカフェを作って、そこで、なるべく色んな障がいがあっても働けるような環境づくりをしたい。
でもそんなことしだしたら、アメリカで学生やってる暇なんてなくなる。どうしたら良いのか。。。
しかし思ってみれば、海外大に行かない選択をしたとしてもこれだけやりたいことが出てきてしまうなら、大学に行かなくてもワタシはやって行けるのではないか?

という流れだったらしい。説明を聞いているうちに、なぜあんなことを呟いたのかとても納得できた。


では、戸惑ってしまった私の話も聞いてほしい。

ワタシの呟きを聞いて、真っ先に思い出した出来事がある。それは、海外の大学を卒業した先輩から、「大学に行くわけを説明できるか」と問われた時だ。私は、同じく海外大に行きたいと考えている同級生たちの前で饒舌に大学に行くわけを語っていた。具体的に定かではないが、「知識と仲間を得ることができるから」「1人だけで学ぶのでは知識が偏りがちだが、大学では、教授に普段調べようともしないことを教わることができるから」などと答えた気がする。今の私も、別にこれらの答えに対して否定的ではない。
だからこそ、これだけ饒舌に同級生の前で語っていた私から、あんな呟きが出るなんて と戸惑ったのだ。

私は、自分はもっと深く大学に行く理由を理解しているのかと錯覚していた。もっと絶対的な自信があって、わざわざ大金を叩いて大学に行くのかと勝手に思っていた。
でも意外とそうではないらしい。「大学に進学する」という選択肢は、不確実性を含むものだったみたいだ。


さて、これらを踏まえて 本当に「大学に行かなくても大丈夫」なのか、議論してみよう。

結論から言うと、今の私は「大学に行かなくても、私の情熱があれば、障害に関わる仕事を始めて、これから出会う障害者たちが主体的な人生を歩むための手助けもできるだろう。ただ、大学に行って、もっと社会について、世界について学ばなければ繋がることのできない人々が存在する可能性も大きい。もっと大きな渦を作って、巻き込む人間の数を増やすための近道が、大学なのではないか」
と思っている。

残念ながらこの世には「肩書き」と言うものがある。そして社会の人々はこれをとても重要視する。
今の私の肩書きは、社会からすれば「留学経験のある高卒」だろう。自力で起業でもすればまた捉えられ方も変わってくるだろう。しかしながら、多分私にはそれを1人でこなすだけのエネルギーと器用さがない。スキルも経験もない。
これでは、仲間になってくれる人も、支援してくれる人も、増えない(気がする)。

また、なんの資格も持っていないので、障害者と関わることに制限が与えられる可能性も高い。例えば精神障害だったら、一番症状が重い時期を生きる人々は入院していて、介入するにはソーシャルワーカーの資格や医師免許が必要、といったケースがありそうだ。

要は、身動きがとりにくくなってしまうのである。大学を卒業し、資格を持っていれば、近道できそうだからということだ。technical issueだ。

もう一つ重要なのが、大学で得られる学びと、鍛えられる思考力の価値である。自分はそこまで進んで地道な勉強をしたり、やりたくないと言う気持ちを我慢したりできない。それならある程度、課題の提出など、強制力を持った大学で追い込まれた方が良いのではないかということだ。そうすることで、批判的思考力を養うことができるし、普段の自分が手を出さないような学問にも手を出すかもしれない。

だからやっぱり大学に行って、ヒイコラ言いながら目一杯学ぼうと思う。と言うのが、総論である。


(大学に行く理由について、書いたことが全て自分の中ですでに考えていたことだということに気がついた。もう少し新鮮な発見があると思っていたので少し残念だが、日本を出るまでにまたいろいろ思いついたら良いなと思う。)


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