最近の政党について思うこと

※本記事は特定の政党・政治団体を支持・中傷するものではありません。

『会派で意見がまとまらないので紹介議員にはなれません』

見出しの言葉はある請願を出そうとある会派の飯能市議団へ連絡した時の返事だ。
私はこの言葉が忘れようにも忘れられない。

政党に直接関わっている人がこの文言を読むとどう思うのか、私にはわからない。
だけど、私はこの文言を機に、最近の政党に対する疑問点にぶつかった。

政党の議員は政党単位でしか動けないのか

どこの政党を見ても思う。
政党所属の議員は政党単位でしか動けない、動いていないと。

前例に出した会派もそうだが、他の政党も同じだ。
議会でも議案に賛成するか反対するかの大半は政党・会派単位で決めているように見える。
例えば飯能市議会は各議員の賛否が公開されている議案は大体会派単位で賛否が分かれている。

政党に所属するということは、政党に思想を全て捧げることになるのだろうか。

個人が冷遇されている政治の世界

これは人から聞いた話なので多少の間違いはあると思うが、議会では複数人で結成されている会派、国会で認められている政党以外はすべて無所属とみなされる。

無所属というのは議会内で権限が弱いらしい。
飯能市議会の場合、代表者会議という重要事項を決める会議には参加させてもらえず、議会の控室もないそうだ。

無所属、すなわち個人であるということは不利になるということだろう。
なぜ、同じ選挙で選ばれた議員なのに、会派所属と無所属でこんなに差が開くのだろうか。

また、会派にいる議員も『個人』という単位は失われていると感じる。
議員が政党・会派に所属することは政治的思想を全てその政党・会派に捧げるということに見える。
政党・会派に所属するというのは政策の大部分に賛同しているからだと思うが、全ての決定を政党・会派に丸投げしているように思える。

もちろん、所属するからには政党・会派が言っていることと180度違うことを言うのは論外だ。
でも、冒頭で述べた『会派内で意見がまとまらないから紹介議員は無理』というのは明らかに会派ありきの捉え方にしか見えない。

議員にとっては会派が全てなのか。
それぞれの意思で地域住民に寄り添うことよりも会派で意見をそろえることがそんなに重要なのか。

私は、会派が個人の思想の自由を縛るものにしか見えてきていない。
「塵も積もれば山となる」
確かにそうかもしれない。
でも、完全完璧に意見が100%一致する集団はこの世の中にそうそういないと思う。

今、無党派層が増えている。
理由の一つになんとなくだが「個人の思想の自由を縛る」会派の実態があるのかもしれない。

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