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発信する時に気をつけてること

執筆日:10月20日


Twitterやnoteで発信をしていると、「このツイートはやめておこう」みたいな感じで打った文字を消すことがある。


それがどうゆう時かなと考えてみた。


結果、共感を求める発信をしようとしている時だということに行き着いた。


例えば、誰かを批判する発信。


「カップルがイチャイチャしててウザい」とか、「ボッチで陰キャとか人生終わってる」とかね。


だからなんだ?という話である。


そりゃあ僕だって、生きてるから批判はある。


食べる時に「ペチャクチャ」と音を出して食べる人に腹を立てている。


だけどそれを発信して共感を得ても、それで終わりなのだ。


何にも繋がらない。


その発信で売り上げが伸びる訳でも無く、共感されて反応が増えてもその後に続かない。


何より、やっててかっこ悪い。


だからしない。


するとしても学びに変える。


この発信も言葉を削れば「批判してる人かっこ悪いよね」という批判である。


この一言でも僕の言いたいことは言えるのだけど、その一言だけでは読み手に発信の意図が伝わらない。


批判をする発信は、高度な技術がいると思っている。


言いたいことはたった一言だけど、その意見に至った経緯やどんな考えがその言葉に含まれているのかを表現しないと、共感されて終わってしまう。


僕ら表現者は「感情の共感」ではなく「思考の共有」を目的に活動しているのだ。


誰かの代弁をして共感を得るのではなく、自分の意見を言って思考を共有すること。


これが僕の発信のルールだ。


あとは単純に、ネガティブに集まってくる人が周りにいて欲しくないというのもある。


人の欠点や社会の悪いとこを言うと、同じような考えをする人が集まってくる。


「周りにいる5人が自分の平均」という言葉があるように、自分を形作るのは周りの環境なのだ。


ネガティブで批判的なことを言う人が周りにいるのなら、自分もそうなる。


でもそこに僕のビジョンは無い。


だから批判を止めた。


このnoteも非常にグレーゾーンである。


「発信で意識してること」というテーマで書いてるからギリOKみたいなところはある。


要は外の現象を受け取った際に自分が思ったことを自分なりに料理することが大事ってこと。


僕は料理人。


お客様である読者さんにいい料理を提供したい。


「リア充ウザい」って発信は、産地から運ばれてきたにんじんをそのまま出しているようなものなのだ。


「なぜウザいのか」
「もしかしたらリア充に憧れているのではないか」


そうやって一口サイズに切ったり、焼いたり、炒めたりして、料理を提供する。


表現者は物事を料理して発信する。


そんな意識を持って発信するように心がけている。


ということで終わり!読んでくれてありがとう。いいねやコメントよろしくね。


じゃあ、また。


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