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初めての恋人は通過儀礼

 大学生で初めての恋人ができた。だけどその人は好きではなかった。付き合いを重ねるうちに次第に好きになっていった。

 大学に入学して間もない頃、Aは私に近寄ってきた。授業があれば隣の席に座り、ほぼ毎日のように連絡をくれる。そんな一方通行な関係が続いたある日、Aは私に告白をした。

 あれは確か、深夜を過ぎた頃だったと思う。Aからラインが来て付き合って欲しいと告白される。そのとき、私は迷っていた。ここで了承したら、好きでもない相手と付き合うことになる。でも付き合っているうちに好きになるかもしれない。そして何よりも、周りの友人に恋人ができ始めている中で、自分だけ恋人がいないことに焦りを感じていた。だから自分のために、自分の経験のために付き合うことを選択した。

 こうして初めての恋人ができた。そして次第に相手の魅力に気づいて人生でこんなに人を好きになったことはないくらい、熱中した。

 だけど、どこかで本当に好きではないのではという疑念が頭から離れなかった。今の好きという感情は、付き合っているという現実に合わせて自分で自分を騙しているだけなのかもしれない。そう考えているうちに、好きという感情が迷子になった。

 そして何よりも自分の経験のために付き合ったことへの罪悪感は消えなかった。その罪に耐えられなくなった結果、私は別れを告げた。

 別れから6年以上経つ。だけどそのときの解消しきれない罪悪感は今でも残っている。

 誰かを好きになって、自分の感情と向き合う。そして告白をして恋人関係になる。そんな経験を通して少しだけ大人になる。大人に近づいていく。

 初めての恋人は通過儀礼に過ぎない。そう思う。私はAの通過儀礼に付き添った、ただの登場人物でしかない。Aは自分が好きになった人に自分の言葉で気持ちを伝えた。私はただ告白されただけなのだ。

 私が抱えきれなくなった罪悪感の正体は、通過儀礼に主役として参加できないことへの焦りだったのかもしれない。

 初めての恋人は通過儀礼に過ぎない。だけどここに辿り着くまでのハードルはすごく高い。たかが通過儀礼、されど通過儀礼である。


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