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STORM 12

Purple Lamborghini 1

 ずっと自分が嫌いだった。


劣等感に苛まれ続けていると、段々と自分の内部を見るようになる。

外部は酷いものだから、内部にしか逃げ場がない。

だから内部を見る。

そうすると、このネガティブな感情の源泉がわかってくる。


私の場合は名前だった。

正確にいうと、ファミリーネーム。自分の、名前自体は気に入っている。

サエル。

私は、サエル・ベル。


ベル。この名前だ。一生私について回るこの名前。

人が私を呼び止める時、親しい人ならサリー、だとか、サエル、だとか。

でも公的な場所では、ベル、がくっつく。

そして、嘲りを隠そうともしない口元が緩んで、私に言うんだ。

ああ、ベル。

ウルタニアを支配する三つの女系家族、その中で最も二級市民に近い私たちの名前。

それが、ベル。


母は私を人口子宮で産み、育てた。

父の名前は知らされない。

父、父性、男というものはウルタニアで、排除されるべきもの、醜いもの、唾棄すべきものとして教育される。

私もそうやって育った。

男性は許可されたものしか入れない、ウルタニア政府特区、女性だけの国『セーフゾーン』。

セーフゾーンの中で私は何不自由なく暮らしたし、飢えもしなかった。

そして教育を受ける年になって初めて、セーフゾーンの外を知った。

二級市民達の暮らしは想像を絶した。

男性は重労働、女性は娼婦、子供は犯罪に手を染めて、毎日を飢え、喘ぎながら生きている。

そう言った人達からすれば、私の生活はこの上なく羨ましいものに映ったろう。


私は母や母達に繋がる女性達が、毎月こっそりとセーフゾーンを出て、市街地に赴く事を知っていた。

何をしているのかを問うと、慰問を行なっているという。

彼女達は自分たちの私財を元に、道端に座り込んで物乞いをする男達、生活に困窮し体を売る女達へ、食事を提供していた。

かつて聖マチルダの日と言われたその炊き出し行為も、今は禁止されている。

『性犯罪を起こす男性を支援している』事がその理由。

その仰々しい法律の所為で母も叔母も、コソ泥の様に女性が禁止されている料理を行い、路上生活者達に振る舞う。

そして更に私の名前は、蔑まれる。

男にまたがる卑しい商売女を見下す視線と笑みが、この名前の上に乗っているんだ。


何故、私達がそうなったのかは、小さい頃から母を通じて聞かされた。

数代前のベル家当主のマチルダが、奴隷の男性達をまとめ上げ、圧政をしくウルタニアの女権社会に反乱を起こした。

彼女の反乱は失敗し、彼女の骸はいまだに、ウルタニア中心に立つ時計塔、その最上階に弔われもせず吊るされている。

ベル家の苦難はそこから始まった。


ベルという家に生まれたから、言われた。

「貴方たちは私達の盾になるべきよ」

ベルという名前を持ったから、言われた。

「男を支援するような人間に女性特権など必要ありません。男性のように死ねばいいじゃない」

そう言われた。

ウルタニア最高権力者、最上級の魔法使い、カレン・ボスに。



ベルという家に生まれたから呪われた。

「あんた達の家が起こした不祥事だからね、責任は負ってもらわないと」

ベルという名前を持ったから呪われた。

「家督の汚名を雪ぐいいチャンスよ、頑張ってちょうだいね」

そう言ったのは、ウルタニア序列二位、同じく魔法使いの、マギー・ボウ。


ベル家当主、エヴァ・ベルは何も言わなかった。

ただ悲しい顔をして私を眺めてたと思う。

唯一してくれたことと言えば、ネックレスをくれた事。

「貴方の危機を、必ずこの宝石〝パプリオンの涙〟が救ってくれます」

そう言って年代物の水色の鉱石が埋め込まれた汚れたトップを、安物のハンカチで拭いて私の首に掛けただけ。

こんな風にこの人は、沢山のベル家の女を殺してきたんだ、とその時知った。

この三人が集う、ティーパーティーという会議に呼び出されて、カレン、マギーから放たれる口汚い言葉によって私の人生は決定された。

仮初の和平協定の為の軍使として、私は仮想敵国であるランドマリーへの渡航を要請される。

大使という建前を着た貴族の中の軽い命。公的な人質だ。


 だからここを歩いている。

高い天井の全ては見分けられない。何故なら光が届かなくてぼんやりした薄暗がりがこの白い壮大な宮殿の様な建物を覆っているから。

ただ、薄らと何かの凹凸が浮かび上がる様に滲み出ている。

それがレリーフだと気づいたのもこの長い回廊を半分ほど歩いた後のことだ。

非常に精巧で美しいレリーフは多分、ランドマリーの歴史をなぞっているのだろうと思う。

ランドマリーは移民の国だ。原住民だったデミ、亜人種を追い出し、自治区に閉じ込めて繁栄した犯罪者の国。

銃を持ち、亜人種を駆逐する男性の英雄達が、勇ましく描かれている。

鼻白んで目を逸らした。男性は醜い。

そして前を見た。謁見の間にはまだ長い距離がある。



 白に調律された内装に隙はない、等間隔に立っている巨大な石柱の側を通り過ぎるたび、両側から眩しいほどの日光がこの巨大な廊下に差し込んでくる。

だがそのあかりでも照らしきれない巨大な官邸。

一対一のスポーツぐらいなら出来るんじゃないかって横幅があって、その中央に引かれた赤いマットは多分赤龍の髭で織られている。

辺りは恐ろしいほど静かで、響くのは私のヒールの足音だけ。

その音も、赤龍の髭のマットが吸収してしまうから、くぐもった足音だけがこの神殿じみた建物の中で響くことになる。

天井から吊るされているのは、黄色い下地に赤い蝶を記号化した紋章だ。

その巨大な蝶が、微動だにせず垂れ下がり私の頭上を見下げている気配がして少し緊張もする。

世界に名前を轟かす、キングオブキング、フェニスが率いる聖シオン騎士団だ。

一応の大統領制はとってあるけれども、実質の権力は全て彼女が握っている。

そんな偉大な権力者と会える事実に、緊張はしていた。でも安心もしている。確信もある。

男性に論理的思考は無理だけれど、相手は女性だ。

話し合えるならきっと、平和的な手段だって試せるだろうから。



 後ろに居るガイドのデミがソワソワと左右を見ている気配がした。

ここにくるまでずっと無言だったから、暇つぶしに足を進めながら彼女の様子を伺った。

フェリダスはこの国の亜人種、猫型のプルリアン種だと言う。

全身毛むくじゃらで、顔にも猫の特性を残している。


「本当に行くのか?」


 ヒゲを上下に動かして、フェリダスが私に言った。

高い声も、獣特有の匂いも嫌だった。その鍛え上げられた女性戦士の肉体が、男を連想させて気持ちが悪い。


「行くしかないでしょ」


 そうしなきゃ社会的に死ぬんだから。

右耳のイヤーカフスを触った。

鉱石魔法で、私の動向は常にウルタニア政府に知られてある。

私は厳重に政治的に守られているのだ。


「私に何かあったら、即座にランドマリーとウルタニアは開戦するのよ。世界に名だたる聖シオン鉄騎団が、そんな無駄な争いをするわけがないじゃない」

「お前は上司って奴を信用しているんだな。あんたの上司がなんなのか私にゃあわかんないから不安なんだよ、なんてったってフェニスに会うんだろ?あの、フェニスだ。私達亜人の事なんか、ゴミ程度にしか思っちゃいない。あんただってそうだ。フェニスはそういう人間なんだよ」


 フェリダスの答えにトゲを見つけた。

背中で纏めた三つ編みを流しながら振り返り、強い口調で彼女に返す。


「上司が今必要?とにかく、私は保護されているし、保護されるべき人物なの。本当、亜人種は嫌だわ。会話にならない。教育を受けてないから仕方ないんだけど」


 そのまま前を向いて足を出す。


「私はリベラルな人間だから、貴方のような獣でも差別せずに仕事を頼んでるの。少しは感謝してもらいたいわ」


 フェリダスは答えなかった。

それを満足に受け取って、私の足は更に大回廊を進む。

先に小さな数段の階段が見えてきて、そこに人影を見つけた。

真っ白いスカートを身につけた美しい少女だった。


「こんにちわ。サエル・ベル様。謁見の間までご案内致します」


表情を一切変えず、高い声でそう告げた少女は、長く美しいブロンドの髪を持っていた。

小さな頭は球技用のボールほどしかなくて、造形全てが人形の様に愛らしい。

けれど無表情の彼女の首元には黒いチョーカーが飾られている。

挨拶を返そうと思っていたのだけど、挨拶を告げた彼女は踵を返して歩き始めた。

開きかけた唇を閉じて彼女の背中を追いかけた。

歳の頃は、十歳、十二歳ぐらいかしら。

細い肩から流れる腕は細く、白く、着ているものや彼女全体の色味が薄いから、なんだか暗闇でも輝いて見える。

相手は女の子だし、何か会話があってもいいと私は思った。

背中にいる未開人の亜人種より、私を満足させる会話が楽しめるだろう。


「こんにちわ。貴方とても素敵だわ。なんだか輝いているみたい」


明るい声で告げたのだけど、前を行く彼女はちら、と後ろを一瞥しまた前を向いた。

ちょっと困惑をした。

故郷ではこんなあからさまな態度を取られたことはなかったし、何より女性同士のシスターフットは何よりも重んじられるものだったから。

教育の最初に教えられるのはシスターフット、女性同士の相互互助。

女性同士の連携がなければ、男性社会に抗えないのだ。

私達のシスターフットがあればこそ、私達女性は、男性を奴隷に落としておける。


「………何か失礼があったかしら?ごめんなさい、慣れていない場所で戸惑っているの」


それに、答えがあった。


「夫から、会話をしないように、と言われていますので」


抑揚のない冷えた音律が、正面を向いたままの彼女から発される。

私の困惑はさらに大きくなる。

夫?

セーフゾーンの法律は完璧に調律された自由で公平な法だけれども、そこを一歩出れば確かに野蛮人達は自分達の欲望をこそ法として存在している。

それは知識では知っている。けど、理解できなかった。

未成年の女子が婚姻をしている?

途端に眼前の美しい少女が、不気味で気持ちの悪いものに見えてきた。

この不気味な生き物についていってもいいのだろうか?

足を前に出す事を躊躇した、それを見透かされたように、今度は彼女の弾むような明るい声が聞こえてくる。


「貴方」


彼女は駆け出した。前方にある三段のステップを駆け上がり、大きな扉の前に立っている背の高い細身の男性の胸の中に飛び込んだ。

彼は自分の腰ほどしかない少女を抱き止める。少女は形の良い顎をあげて彼を幸せそうに見つめている。

彼は黒い肌を持っていた。

仕立てのよい高級な背広を身につけ、チェスターコートのダブルを身につけている。

シルクハットから靴先まで、深い黒で全身を覆い、アクセントは銀糸。

大きな手のひらも良い生地なのだろう、恐らくはオーダーメイドの白いグローブで覆われている。

私は彼を見る。

彼も私を見る。

そして得意げに私を振り返る少女を見る。


「ドロレス、ありがとう。さあ、家に帰っていなさい。私が帰るまで待てるね?」


ドロレス、と呼ばれた少女はまた彼に酔ったような視線を投げて、愛しそうに彼を抱きしめた。


彼女を抱いたまま、黒い肌の男性が私に呼びかける。


「ようこそ、サエル。奥の間でフェニスが待っている。私はシン・ライツ。ランドマリーの法務と外務を兼任している」


私の内部は震えていた。

予感が全身を走っていた。

少女の恍惚とした、洗脳じみたあの表情。

間違いないと思った。

この黒人は、ペドフィリアだ。


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