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STORM 6

butterflyeffect 6

 僕達を見下げたヨーセフは言った。

「ハーディはどうした」

 薄汚れた泥まみれの体を誇る様に立った僕達は、今度は物怖じせずに彼に告げた。

「死んだ」

 ヨーセフはその棍棒みたいな銃を一度揺らして顔を伏せた。
毛のない頭部を片手で撫で、顔を上げた。
口髭は藪みたいに茂っているのに、頭にはない。
僕はそれが少しおかしかった。
でもヨーセフの目は、学校で見るどの導師様よりも怖くて光っている。
ぎょろぎょろした大きな目玉が右に左に、僕達の顔を見比べて、また質問をした。

「母親は」
「死んだ」

 死んだ、とだけ答えた僕の手をまたルルワが強く握ってくれた。
ヨーセフはしばらく黙っていたけど、観念した様に僕達に吐きつけて、アジトの中へ入っていった。

「入れ」

 家具も何もない、掘り抜かれた横穴のようなアジトだった。
灯りが入る所はほぼなくて、中に入った瞬間、鼻をつくのは人の垢の匂いと火薬の香りだ。
カンテラを灯しながら廃墟の様な室内を歩く。
少し歩いた先に扉があって、やっぱり棍棒みたいな銃を抱えた男が二人立っていた。
顔全体を布で覆っていて、彼の目もぎょろぎょろとして厳しかった。
でもヨーセフは彼らよりもずっと強いんだろう、男たちはヨーセフの姿を見て何も言わずに扉を開けた。
扉の向こうにはまた何もない穴倉が広がっている。
二、三歩、カンテラを持ったヨーセフが部屋の中央まで歩いて腰を曲げた。
床の砂を大きな両手で払うと、地下の入り口を出現した。
彼の指が、引き抜く様に地下室の扉を開けた。
砂を積み上げてできた崩れそうな階段が現れた。
彼の大きな体は再度カンテラを持って穴の中に消えていく。
僕達も後を追った。
暫くしたら頭の上で、扉が閉められ鍵をかけられる音がした。
地下道は真っ暗だ。
前を歩く大きなヨーセフが中腰で歩くから、彼の手の中にあるカンテラは彼の体に隠れて僕達に光を与えてはくれない。
不安定な足元を踏み締めるように彼についていくと、少し大きな広場に行き着いた。
布で覆われた入り口の前に、矢張り二人の兵士が銃を構えて待ち構えていた。

「アーレーイムワット。我らの下に神はあり、我らの上に神はおり、我らの水と我らの糧と神の恵みに幸あれ」

 ヨーセフの符牒を僕は聖句だと看破した。学校で最初に教わるイムワットの祈りだ。
 布を払って出てきたのは導師姿をした男だった。
導師のターバンを巻いて導師の色の服を着ている。
黒は導師でしか着れない色だ。
男はヨーセフより長い黒い髭を持っていた。
ヨーセフよりは背が低くて痩せている。
でも目の色だけは、ここにいる他の誰よりも暗かった。

「アースィム」

 とヨーセフは言った。
アースィムと呼ばれた男は答えず、ヨーセフの後ろの僕達を覗き込むようその鋭い視線をくれて、またヨーセフに向き直った。
そのままアースィムは言った。

「ハーディは」
「死んだ」

 ヨーセフの答えを聞いて、アースィムは目を伏せた。
そして、「異教徒なれど彼は私達の友人だった」と言葉を繋いだ。
そして今度はおそらく僕達、ルルワと僕にも言葉をかけた。

「入れ」

 彼が腕でかき分けた布の先は明るく広かった。
大きなヨーセフも十分に背を伸ばして立てたし、その一室だけは幾つもの電灯が灯りをつけて吊り下げられていた。
その明かりが、色々な資料、銃や弾薬、そしてボロボロの椅子と木で出来た今にも崩れそうなテーブルを照らしている。
ゆったりと歩を進めて、まるで崩れるようにその椅子に座った、アースィムは言った。

「彼らが最後か」
「ああ」

ヨーセフの、感情の伴わない無機質な返答を聞いて、アースィムは頭を抱えて深いため息を吐く。

「城塞近くでまた数十人死んだ。残っている兵士も、物資も心許ない。ここでランドマリーの支援を失うわけには………」
「連絡用の蝶はもう居ないのか」

 ヨーセフの低い声が地下室の灯りを揺らして響く。
「ここ数ヶ月狙って殺されている。ウルタニアの工作員だろう。ランドマリー政府が動いてくれればいいが………。東部戦線はほぼ壊滅状態だ。導師アマンナフは死んだ」

 ため息と共にヨーセフが、そうか、と呟いた。

「君が最後の戦士かもしれない。名前は」

 アースィムの声が僕にかかった。
体を震わせて僕は背を伸ばして答える。

「ヤヒム」

そうか、ヤヒム、とアースィムは頷いて、ヨーセフに目を向ける。

「ヨーセフ、彼に訓練を。隣の女子は、房入りに………」

 僕は目を向いた。房に入る、言葉の意味はわからなかったけれど、僕はそれを僕達の別離だと認識した。
顔色を変えて僕は二人に叫んだ。
ルルワのいない世界なんて、無くなってもいい。
ルルワがいなければ死んだって当然だ。

「嫌だ、それは嫌だ!」

 二人の男は行動を止め、僕を見た。
拒否されると全く思ってなかったんだろう。
そんな反応だった。

「ルルワは戦士だ。戦える。僕はルルワと一緒に居る。ルルワと一緒に入れない場所で、僕は戦わない!」
「婦女子は戦場に居てはならない。イムワットがそう決められた」

 導師アースィムが抑揚のない声で呼びかける。
その声はあの優しかったハーディを思い起こさせた。
僕は咄嗟に服の中に隠した銃を手に取って、導師アースィムに銃口を向けた。
驚いた黒目が広がって、必死の僕と震える銃口を見つけた、その視線の気配がする。

「僕は嫌だ!イムワットに誓った!僕はルルワを守る!一度誓った事を破る、それだってイムワットの掟に反している!」

 ヨーセフが落ち着け、と声をかけた。
その人ごとの声色が僕の神経を更に傷つける。
うるさい、と叫んで僕は震える銃口をそれぞれ、ヨーセフ、アースィム、に向ける。
撃ち方も使い方もわからなかったけれど、僕達を守る方法はこれ以外ないとその時の僕は思ったんだ。

「私は房には入りません」

 凛とした声が隣から聞こえた。
ルルワの声だ。それに僕は息を呑んだ。
導師の前で婦女子が発言することは禁止されている。

「兄さんから聞きました。房に入るとは男子の世話をする事。自分の肉体を使って、男性に奉仕する事だ、と。私は、ヤヒム以外の人間に奉仕はしません」

 ルルワの反論を聞いた導師アースィムが、貴様、と呟いて目を剥いた。
僕はルルワを抱き寄せて、照準を導師アースィムに合わせる。
どうせ死ぬのなら、ルルワと一緒がいい。

「兄の名は」

導師を見ていた僕の斜め上から声がかかった。
ヨーセフの声だ。
僕に抱き抱えられているルルワが、導師アースィムを見据えたまま、またはっきりと答える。

「私は、ルルワ・ハッターブ。父、アル・ハッターブの娘。兄はハサン・ハッターブ」
「ハサンの妹か」

ヨーセフの呼びかけに、ルルワの強い瞳が煌めきながら彼を見上げたのを感じた。

「ハサンの妹だ。十分に戦士になる。ハスラ戦線の英雄だ。お前の兄は素晴らしい働きをした。俺の命の恩人だ」

 僕も咄嗟にヨーセフを見た。
手の中の棍棒のような銃は下げられたまま、大きな体は僕達を斜めに隠して、導師アースィムから守っている。
しかし、と導師アースィムが声をかけた。
ヨーセフはそれにも、まるで導師の様な正確さで答える。

「嘘をつかぬ事。イムワットに請願した事に正直である事は、第一の戒律、守らねばならぬ最初の戒律だ。婦女子戦場に立たぬ事は、第三の戒律、そもそも序列が違う」

 そう言って、ヨーセフは僕達の目線まで降りてきた。
片膝をついた彼の眉間に、僕の震える銃口がくっついて、思わず気後れしてしまった僕は、突っ張った腕を震わせながら降ろしていく。

「戦士ヤヒム。お前はイムワットに誓うか?アル・ハッターブの娘を娶り、生涯その娘と伴に生きる事を」

 一も二もなく僕は叫んだ。「誓う」そしてルルワも。
それは僕達の婚礼の儀式、ルルワがやっと涙ぐみながら頭に巻いたヒジャブを取って、僕を包んだ。

ヨーセフの歌が聞こえる。婚礼の歌だ。
ルルワのヒジャブの中で僕達は互いに泣きながら、口付けをした。
抱きしめあって、ヨーセフの低く心地いい婚礼の歌を聞いている。
イムワットは地にあり、そして天にあり、我が子らを守り、育て慈しむ。ここに新たなる家を拓き、土を積み、泉を掘る。新たな家が栄えます様に、恵まれます様に、アーレーイムワット。

 雪が降り始める少し前の季節に僕達、僕とルルワは夫婦になった。銃声と魔法砲撃の音も聞こえなくなる静かな冬の季節、全ての動物が寒さと飢えで死に絶える、コヌヒーの冬がこれからやってくる。


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