MVでよく見る『〇〇みたい』というコメント。似ているは成長の過程・・・という独り言

どうもKoTaRo(@hitorigoto7753)です。

今回はMVなどでよく見る『〇〇(バンド名)みたい』『〇〇のパクリじゃん』などというコメントについてです。

これに関して音楽活動をしている僕としてはやはり一言申し上げたいことがありますので独り言していきたいと思います。


『〇〇みたい』に込められた心理

このコメントを書く人たちはどういう考えで言っているのでしょうか?僕はこの考え付く限りでは以下のようなことが考えられます。

・好きなバンドに似ているから『パクられた!』と思っている(〇〇を見て欲しい!)。

・『〇〇』を知っているという優越感や上から目線(本物を知っているという優越感)

・そのMVを見ている人に本物を教えてあげているという心理(その人たちのためになっていると思っている。)

・日々のストレスの発散(上記の理由にストレスが乗せられる)

簡単にいくつかあげるとこんな感じでしょうか。悪意がない場合もあるでしょうがそのほとんどは『〇〇のパクリじゃん』といったバカにしたような意図が込められていることが比較的多いと思います。

何かの『パクリ』。もちろん今の世の中、尊敬の意味から取られた『オマージュ』があれば、そのほとんどを人が見てもパクリだという『中国版』なんてのもあるんですが音楽に関しては僕自身作曲を趣味程度にしているのでそれが悪いこととは決して思えません。


書道家、柿沼康二の考えからみる『個性』の存在感

「手本を本気で真似よう真似ようとして、どんどん個性をなくしていって、それでも出てしまうのが自分の個性。」

僕が昔テレビで見た『心ゆさぶれ!先輩ROCK YOU(日テレ系)』という番組で見た柿沼康二さんという書道家の名言(少なくとも僕には一番腑に落ちた言葉)です。

柿沼さんは書道家として素人の僕が見ても迫力のある文字を描く(こういう表現であってるのかな?)方なんですが、日に何時間もかけて臨書(手本を見て書くこと)を行うそうです。そうやって『結局質より量』という考えの元、同じことを繰り返していくうち『ここはこうした方がいい』『こうすればどうなるんだろう?』と言って出てくるものが個性なんだとか。

確かに作曲をしていても楽譜をそのまま作曲ソフトに打ち込んでいく作業を繰り返していくとただただ既存のものをなぞっていくだけなのに結果として自分には無いアイデアやアプローチに驚かされることが多々あります。そして最初はそのアプローチに似たことをしていく事になってました(今聴いても何影響を受けたかわかるほど似たようなものができていました・・・。)。

しかしこのような経験をしたからこそやはり柿沼康二さんの考えがすんなりと腑に落ちたと思います。個性とはすぐ身につかずに様々な成長の向こう側にあるものなんですね。


『似ている』は悪なの?全てがオリジナルでは無い世の中

有名な話でいうなら皆さんご存知『ミッキー』。ディズニーの主役的キャラクターでネズミのキャラクターといえばこのキャラクターを皆さん思い浮かべると思います。

この『ミッキー』実は元ネタ?があります。

それは『フェリックス・ザ・キャット』(権利上怖いので両方画像使えないので名前で検索してね!多分みんな知ってるキャラだから!)

この『フェリックス』から着想を得て生まれたのが『しあわせウサギのオズワルト』、ここからフェリックスの制作会社から抗議を受けたりしてマイナーチェンジを行って皆さんも知ってる『ミッキー』になっていたわけです。

しかしこんな誕生秘話を持っていながら様々なキャラクターやストーリーを制作し絡ませることで今の世界的キャラクターの地位を不動のものとしたわけです。

『一番最初』、『オリジナル』は大切なことかもしれませんが皆さんが目にしているものは全てが全てオリジナルではなく様々なアイデアをマイナーチェンジさせたり合体させて出来上がったものだということを改めてわかって欲しいです。


だからこそ『〇〇みたい』は、まぎれも無く成長の証

長くなりましたが以上のことを踏まえるとこの『〇〇みたい』という感想を抱くということはそのアーティストは今『個性』を磨いている最中であり、その先の『自分』を見つけている最中なのでは無いでしょうか。

『〇〇みたい』や『〇〇のパクリ』と言ってきた方々はどういう意図でコメントしてきたかはわからないですが今見えているもの、聴こえてくる音が全てでは無いと思いながら、むしろ成長の過程を見れた!これから進化を追っていけると得した気分で楽しんでいただきたいですね^^・・・という独り言

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