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繊細なあなたが「小さな暮らし」に向いている理由

恥ずかしながら、今年34歳というこの歳になってやっと我が家は「家計管理」というものを始めた。

つまり家計簿をちゃんとつけて、毎月の収入と支出のバランスをみる。そして必要なもののためにちゃんと貯蓄をする。ええ、こんなに当たり前のことができなかった自分が恥ずかしい。穴があったら入りたいと、久しぶりに思う。(途中で書くのをやめたくなるほど恥ずかしい。ああ。)

会社員の時は、びっくりするくらいちゃんと毎月積立てたし、しっかりと貯金もあった。それがその貯金を全額メイクスクールの学費と会社員を辞めた後の生活費にあて、フリーとして独立をしてからというもの、毎月の収入がばらつくのが当たり前になり計算が難しくなったことで、諦めてしまった。というか気がつけばただ単にそんな余裕も無くなっていった。

それからというもの、「収入にばらつきがあるから管理が難しいんだよね〜」とか、「管理してる方が「ない」の意識にフォーカスしちゃって結局収入自体も減っちゃうのよ〜」とかあーだこーだ屁理屈を永遠にぼやきながら、手をつけることを諦めてきた。

そしてそういう時に限って「大きな意見」に普通に飲まれる。「人間いつ死ぬかなんてわかんないんだから貯金する金があるなら使え」「金は使ってなんぼ」「お金はあっちの世界には持っていけないんだから経験に変えろ」そんな意見が正当な気がして、収入=支出を無駄に貫き(いや、たまに収入<支出のことも…)、やっぱりお金を貯めることや管理することを先延ばしにしてきた。

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「貯金」というのは、シンプルに収入から支出を引いた分である。なので貯金をしようと思うのであれば、収入を上げる努力をするか、支出を削る節約をするかのどちらかでしかない。そして今までの私は、上記のような考えを持っていたせいか、節約をして生活で我慢するくらいなら必要な分稼げばいい、とシンプルに本気で思っていたし、それがある意味出来ていたのは幸運だ。旅行に行きたいと思えば行きたい場所で仕事を作って出張も兼ねて遊びにいったし、このサービス受けたいと思えばその分自分のサービスを売ってきた。欲しいものを我慢するくらいなら、辛い思いをしてでも一生懸命稼いだほうが我慢しなくて幸せだ、そんなことを思って動いてきたのがここ数年の私のように思う。

ただ、やりたいことは我慢したくないから辛くても稼ぐんだ!とか言っておきながらも、私はどちらかというとミニマリスト寄りの人間であって、そんなにこれやりたい!とかこれ欲しい!っていう「欲」がそこまでない私という存在も、同時に私の中に大きく居座っていた。

月100万稼ぐ!と言って一生懸命身を削って稼いでいても(当時の自分はやりたくてやってるので、自分の身がいつの間にか削れてることにそもそも気づいていないのだが)、ぶっちゃけ月100万円分もやりたいことないんだよな〜というのが正直なところで、結局その「稼ぐ」に対してのモチベーションも続かずに終わることがほとんどだった。

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『繊細さん(HSP)の人がミニマムな暮らしをするのに向いている』という話を耳にしたのは、ちょうど、私が辛くても稼ぐ!というハードモードから息も絶え絶え降りて、じゃあどうしようかな〜とゆるく考え始めた時だった。

小さな暮らしやミニマリズム、スローライフなどというのは世間の流行の一つのようにも思える一方、現代の繊細な人たちがこのハードな世の中で生き抜くための一つの戦術でもあるように思える。

繊細さんの大きな大きな特徴の一つとして、共感性が高すぎることや、刺激に敏感なことが挙げられるのはもうほとんどの人が理解しているだろうと思うが、まさにこの特徴が小さな暮らしのススメを後押しする。私自身、かなりのミニマリストなのは自負しているが、「自分が管理仕切れていないものが家の中のどこかにある」「特に大切だと思えていないものが身の周りに散財している」という状態が、そもそもものすごいエネルギーを無駄遣いすることにつながっている。常に全てのものにアンテナを張ってしまう性分なゆえ、そんなの無視すればいいじゃんとか考えなくてよくね?みたいなものにも気を取られてしまうことが常である。(これはもう無意識でだから本当にどうしようもない)だからこそ、できるだけ不要なものを一つでもなくし、意識を取られてもストレスにならない数少ない大切なものだけで身の回りを満たすという暮らしがとてもフィットするのである。

そしてそれは「お金」においても同じである。なんだか気がついたら無くなっていて何に使っていたかわからない、覚えていないお金の流れがあることや、いくつもの口座にお金が分散されていたり、カードの引き落としがさまざまな口座からされていること。最近では電子マネーとクレジットカードと現金の使い分けといったことでさえ、繊細さんの頭をこんがらがらせる。お金の入口と出口が不明確で、貯金のあるなしにかかわらず、流れが把握しずらくなっていることそもそもが、大きなストレスになり得る。

そういうストレスが自分の中にもあったんだなと気づいてからというもの、私は家計管理にハマってしまった。まだまだ貯金や資産運用と言えるほどではないけれど、確実にお金の入口と出口を把握し、できるだけシンプルに一本にまとめることができた。そして、まず自分が何にお金を使っているのかが明確になると「これ買う必要なかったな」という反省も浮かび上がってくる。

そこから節約というプロセスが始まるわけなのだけれど、始めてみるとその節約という行為は、今まで私が思っていたものとは全く異なっていた。節約といえば「我慢すること」や「欲を抑えるツラいこと」だと思って今まで私は人生をかけて拒否し続けてきたのだが、実際今取り組んでみていると、節約とはただ「私にとって本当の豊かさは何か」「私にとって本当に幸福を運んでくれるものは何か」を明確にする「自分を知る」という素敵すぎる心温まる行為でしかなかったのだ。

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そうなると、本当に自分に幸福をもたらしてくれるもの「のみ」を選び、他に無駄使いすることがなくなるので、シンプルに支出は減る。そして暮らしを小さくするプロセスの中で日々のストレスが大幅に減ることで、無駄にストレス発散のためにお金を使う必要もなくなるので、またさらに支出は減っていく。それだけでももちろん素晴らしいけれど、そもそもそんなにお金をかけなくても相当幸せな状態でいれることが分かると、「そんなに辛い思いしてまで稼ぐ必要なくね?」となり、必要な分だけストレスなくゆるく稼げればいいかと、ものすごく肩の荷が降りるのを感じれるはずである。(好きなことで稼ぐという場合も、好きなことであるがゆえにこれならできる!と、結果過稼働してしまうことが多いため、仕事の好き嫌いはここでは問わないことにする。)

そして「リスクに敏感である」という繊細さんの特徴は、ここでも実は救われていることに気がつく。「大金を稼ぐ」「大金を使う」というハイリスクハイリターンなように見えるものは、そのリスクをとった先に得られるメリットがどれだけ大きかったとしても、そのリスクをとった時点で自分にかかっている負荷が大きすぎて、メリットを享受する前に潰れてしまうということが大いにあるのが我々繊細な人間だったりする。そうなった時に、自分が動かす、管理するお金がそもそも少ないというのは、一見どうなのかと思う人ももちろんいるだろうが、実は繊細な人種にとってはとても「幸せ」なことだったりもするのだ。

(大原扁理さん著の「年収90万円で東京ハッピーライフ(ちくま文庫)」もそれに近い感覚の人が惹かれるような気がする。)

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小さな暮らしとはつまり、全てを「自分の手の届く範囲で物事を把握しながら、自分にとって心地いい範囲を見極めてその中で自分のペースで暮らす」ということなのだろう。

そして「自分が心地いいもの」で全てを整えていく上で、何を削るか、何を選ぶかは人によって大きく異なるし、そこには正解も不正解もない。自分の感覚をじっくり感じ、身の回りをシンプルに整え、流れをわかりやすく風通しをよくし、大切なものだけを大切にできる暮らしが、今の私はとてつもなく心地いい。もちろんこれから状況は何度もアップデートされるだろうし、変化していくと思うけれど、今の時点でこうして小さく暮らすことで、なんだか心身ともに健康になってきているのが感じられることが、その暮らし、私には合ってるよ!の証なのかもしれない。

そして何より、小さな暮らしにかこつけて実は顔も少し小さくなってきたのを感じて「あ、これ合ってるのかも」と思えたのは、地味に嬉しい。

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