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出すって、慣れ|心の便秘解消

最近全然アウトプットが追いついていない。というか、日々人は無意識でもなんやかんやインプットしているのだけれど、外にそれをアウトプットすることは自分が思ってるよりあえて意識的にしないと、意外と難しいことだったりする。

note読んだり、本読んだり、誰かと喋ったり、誰かの動画見たり。ニュースに触れたり、いろんな価値観に触れることは、全てインプットと言える。スマホがお友達の現代人は、きっと地球史上いちばん高い率でインプットが多い生き物だと言っても過言ではないはず。そんな私たちは、そんなインプットと同時にアウトプットをすることがとても大事になってくるのは言わずもがな。というのも、全てに通ずる法則で『入れたら出す』『出たら入る』という循環がどんなものにもあるからだ。入れるだけ入れ続けていたら、ぶくぶく太っていく一方。出すだけ出し続けていたら枯渇して死へ向かっていく一方。だから「入れる」ことと「出す」ことのバランスを取ることは、思ってるより我々人間の心身の健康の要になっているんじゃないかと、最近とても考える。

「情報過多」という状態は、「入れすぎ」になってしまっている時のことを指す。現代人が1日で受け取る情報量は江戸時代の1年分という話がある。人間の体の構造は同じなのに(同じキャパなのに)そんなに詰め込んでしまっては、脳みそは間違いなくパンクしてしまいそうだ。ということは、なんらかの処理をして外に「出す」「溜め込まない」ということがとても要になる。思考でも、身体でも、何かを極端に溜め込んでしまうからそこに流れが生じずに腐敗し始める。水の流れでも同じだ。流れなければ腐る。それが日々の脳内でも起きているような気がしてならない。腐ると細菌が増えて悪さをし出す。頭の中にも情報を溜め込むことで、その元々は役に立っていたはずの情報も腐り始めて悪さをしだす。思考でそれが起きた場合は、それが我々人間をドン底へ落とす大きな要因にもなっていそうだ。

「出す」ということの必要性はこの辺にしておこう。脅したいわけじゃない。じゃあシンプルに出そうよ!という話なのだけれど、冒頭にも書いたように「出す」ということは意識的にしていく必要があるということを付け加えて言いたい。きっと江戸時代の人のインプット量であれば、意識しないで日々できているある程度のアウトプット量でも心身の健康は保てたのかもしれないけれど、現代の我々の膨大なインプット量の場合思いっきりキャパオーバーなので、意図的に、そして意識的に何をどう出すかを習慣にしておく必要があるのだと私は考える。

アウトプットの形は正直なんでもいい。
・話す(友達とわいわい話すだけでもいい。ラジオとかで喋ってみるとか喋りを録音するだけでもいい)
・書く(noteを書くことはとても個人的にフィットしている。日記でも絵でもなんでもいい)
このあたりはアウトプットの王道だろう。

それに加えて、脳内をただただゼロにすることも有効である。ありきたりかもしれないが「マインドフルネス」も一つの方法である。要は溜まりすぎた脳内キャッシュ(一時保存データ)を一掃するのだ。瞑想してもいい。運動してもいい。何かに思いっきり集中すること。料理が好きな人は思いっきり無心で料理してもいいし、物理的に断捨離や家の中を掃除してみてもいい。

それらを習慣にして出すことに慣れてくると、出していないとどれだけ自分が毎日のインプット情報に苛まれていっているかを感じることができるようにもなる。出す習慣がないと、自分が鈍っていっていることにもなかなか気づけないけれど、出して心も身体もスッキリしだすと、もっと健康的にインプットもできるようになるし(とりあえずで入れるインプットではなく、ちゃんと自分に生かせる情報収集ということ)やっぱり何よりも生きやすくなる。

しっかりアウトプットを習慣にして出すことに慣れることで、心の便秘を解消できる。体の便秘も相当ツラいけど、心の便秘はもっとツラい。なんなら心の便秘が体の便秘を引き起こすことだって大いにある。自分にとって1番しっくり来るアウトプット方法を見つけて、しっかり日々出すことに慣れておくということは、現代人の健康のためには間違いなく必須項目であることをここに記しておきたいと思う。

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