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自分を満たしたところで幸せになれない話

誰かのために生きることが生きがいになる人もいれば、誰かのために生きたら自分を犠牲にしすぎて辛くなる人もいる。自分のためを考えて自分を何よりも優先して生きることで生きやすくなる人もいれば、自分のためだけにはやる気が起きなくて生きる気力を無くす人もいる。

こんなパターンをわたし自身、なんだか長く繰り返していた気がする。

誰かの幸せのためにわたしができることはなんだろうと意気揚々とやる気で動いて動きまくって、気付いたときには「わ、わたしの時間はいずこへ・・・」といったことをしばらく繰り返す。そして、そのステージを越えると次は、よく「シャンパンタワーの法則」とも呼ばれるけれど、まず自分自身を幸せで溢れさせることで、溢れた分で周りにも幸せを与えられる人になる、みたいな理論もあったりして、「まず何よりも自分だ!自分自身の幸せを優先するんだ!」となって、いきなり働かなくなったり、人の気持ちを無視し始めたり。ふう、なんとまあ極端なこと。

この理論で生きてると、そもそもどちらをとっても両極端すぎて心もカラダも忙しない。それに、自分を100%満たさないと他人を幸せにはできないことになるし、他人が100%幸せになる頃には自分自身はくたばってることにもなる。

そしてわたしは気づいてしまったのだ、この「誰かのために生きることが幸せ手法」と「自分を満たすことから始めよう手法」、これらは結局「永遠に誰も幸せになれないループ」だということに。

どっちかが先に満たされることでその後に続くものも幸せになるというこの理論は、誰も幸せにしてくれない。どちらかを100%満たすことは、要は優先順位をつけるということ。優先順位がついたものは、つまりトップダウンの世の中を作る。優劣のある世界。

だったらどうすりゃいいのと、わたしも考えた。でも考えるまでもなかった。優先順位をつけて順番に幸せになる考えをやめて、全員がちょっとずつでも一緒に幸せになればいいだけ。自分も幸せに、相手も幸せに。100%幸せじゃなくていいから、半分こすればいい。恐ろしいくらい単純だった。1%でも幸せを感じられた人は、簡単に100%を感じられる。でも幸せを感じたことがない人にとっての100%は途方もないものに見える。だったらみんなで1の幸せを感じることができれば、一緒にそれを100にすることなんて簡単だ。

極端に人のために生きる必要はない。そして、極端に自分のために生きる必要もない。人のためにも、自分のためにもちょうどいいバランスで生きられたら、結局幸せって簡単に増えるんだって気づけたりするもの。

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