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死ぬほど帰りたかった故郷への想いを手放すことにした

愛していた相手をあきらめることにしました。
なんて言うと大仰だけれど、一般的な人の感覚で言えばたぶん、生きていたいのに死ぬことを選ぶくらいの一大事だ。

故郷が好きで、好きで、愛していたと思う。18で離れてからの干支一回り、私はずっと「帰りたい」と切望していた。その一方で、故郷秋田県が自分のようなセクシュアルマイノリティーが暮らすには非常に難儀な土地であろうことも理解していた、つもりだった。

帰りたくて地元での起業を画策したことも、秋田市の地域おこし協力隊に応募したこともあった。そのどれもがうまくいかなかったけれど、当時は「自分の力量不足だ」と納得していた。実際そうだったし、もっと優秀な人材になれば秋田に帰れるだろうと思っていた。

私は戸籍では「女性」だけれど、Xジェンダーとかノンバイナリーとか、名称はさまざまながらとにかく世間一般で言う女性ではなく、かといって男性でもない。
パートナーは女性で、生殖することはできないし、する予定もない。そういう人を受け入れる土壌が秋田にはまだない。それはわかっていたことで、それでも「若者」を求めてやまない秋田県に、私は必要とされていると勝手に信じていた。

でもそうではなかった。秋田は、子どもを産んでくれる優秀な人に帰ってきてほしかったのだと最近になってようやくわかった。
子育て世帯を応援します!と叫ぶうまれ故郷は、私のことなど最初からお呼びではなかったのだ。
そんな簡単なことに気づくのに10年以上もかかってしまった。というか、この十数年の間に実は気づいていたけれど見ないふりをしてきてしまった。秋田にルーツのある男性との結婚を考えたこともあったくらいに。

秋田が要らないというのなら、私ももう「帰りたい」と泣くのはやめよう。
やっとそう思えるようになった。
特別な努力をしなくても、いま暮らしているこの街で生きていける。手を繋いで歩くパートナーと私を奇異の目で見る人もほとんどいない。
秋田に帰ったら私のせいでパートナーや親が石を投げられるかもしれない。そんな土地だとは思いたくなかったけれど、きっとそうなのだ。
なんせ知事が「優しく、差別のない秋田は売りになる」という理由でLGBTQの関連条例を検討すると発表する程度の解像度だ。売りになるってなんだよ。

秋田で暮らすにはそれなりの努力が必要で、それができなければ帰ってこなくていいという論調の移住者がいることも諦めに拍車をかけている。
能力を磨き、溢れかえる高齢者に愛想よく振る舞い、日々発信力を高め、なんてことをしなくても生きていける街にしようとは思わないらしい。

個人レベルでなら、私が帰ることを喜んでくれる人はいる。友人、肉親。存命の祖父はきっと誰よりも喜ぶだろう。
でも私は故郷に、秋田県に、「帰っておいで」と言ってほしかったのだと思う。多少愛想が悪くても、人より秀でたものがなくても、戸籍上同性のパートナーと暮らしていても、子どもを産み育てることが生涯なくても。

いま暮らす街では全部それなりに受け入れられることが秋田では受け入れられないことが悲しい。悲しいけれど、秋田を変える気力は私にはもうないので、この片想いをとうとう手放すことにした。

ふるさとは遠きにありてとはよく言ったもので、室生犀星の愛猫と同じ名前の猫を撫でながらこれを書いている。
はやく「優しい秋田」が売りにならない世界になりますように。そうなったとしても、もはや私は帰らないけれど。


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