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はじめて借りた部屋は消えてしまった

 うまれて初めてのひとり暮らしは群馬で始まった。10代の若者だった私はロフトというものにひどくあこがれて、8畳間に6畳のロフトがついたアパートを父に借りてもらった。
 引越し当日はろくな荷ほどきもせず、床にオーブントースターを置いてグラタンをつくった。もっとかんたんにできるものはいくらでもあったけれど、熱々の何かでおなかを満たしたい気分だった。たぶん、あの年の春は少し寒かったから。

 6畳もあるロフトは162㎝の私がかがまずに立つことができるだけの高さがあり、当然そのぶんだけ部屋全体の天井が高かった。古ぼけたエアコンはガスで動くタイプで、そのうえリモコンは有線で、はじめての冬はガス代に卒倒しかけた。暖かい空気が全部ロフトのほうへのぼっていくものだから、8畳の広い部屋はちっとも温まらなかった。代わりに洗濯物がよく乾き、たまに泊まりに来る友人はロフトでぐっすり眠った。

 文化祭で使う看板をつくったり、大学からついてきてしまった猫をこっそりかくまったり、先輩たちの無茶な飲ませ方でつぶれた後輩を連れ帰ったり、あの部屋にはなんだかんだでいろいろな人が来ていたように思う。ちょっとだけ困ったり、弱ったりしている人が多かった。ロフトからすすり泣きが聞こえたり、唐突に恋愛相談が降ってきたりした夜もあった。
 そんな部屋をわりあい気に入っていた。人が来てくれるということは、まあわるくない居心地の部屋だということだし。

 なのに、次の年に大家さんから老朽化による立ち退きのお願いがあった。引越し先は提供するという。隣の棟の少しだけ新しい、ほとんど同じ間取りの部屋だった。
 ろくに荷造りなどしたことのない私はほとほと困って、泣きながら段ボールに荷物を詰めた。結局どう引っ越したのかは忘れてしまったけれど、次の部屋のエアコンについていたのが無線のリモコンで、便利になったのに寂しい気持ちになったことを覚えている。

 それからも友人は来てくれたけれど、ひとりは前の部屋の、ガスで動くエアコンがたまに吐き出すため息のような音が気に入っていたんだと残念そうに云った。
 ほどなくして最初の部屋はおんぼろエアコンもろとも更地になった。以前かくまった猫が途方に暮れたように平らなそこをうろうろしていたので、また部屋に入れてやった。相変わらず洗濯物はよく乾き、ロフトからは彼氏の愚痴が降り、新しい部屋にも慣れた頃、3.11がやってきた。

 立ち退きの理由というのが、耐震に問題があったためだったとはぼんやり聞いたような気がする。もしあのとき大家さんが判断してくれていなかったら、私はあのアパートでおんぼろエアコンもろともつぶれていたかもしれなかったわけだ。なるほど生き延びたな、と頭の片隅で思いつつ、輪番停電で暗くなった街をベランダから眺めた。電気が使えなくなる前につくった食事は、やっぱりグラタンだった。あの年の春も寒かったから。

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