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無料記事『子どもたちのための表現規制入門2(前半)』2024-01-30

 みなさん、こんにちは。
 以前にぼくは、みなさん若いひとたちに「表現規制ひょうげんきせい」というものがどんなものか分かってもらうために「子どもたちのための表現規制入門」という文章を書きました。
 今回は、そのつづきになりますので、もし前のを読んでいないというひとがいたら、お先にこちらをよんでもらえるとうれしいです。

 この文章のなかでぼくは、皆さんからアニメや、ゲームや、まんがを奪おうとしている人たち――つまり表現規制をねっしんにやりたがる人たちのなかに「フェミニスト」とよばれる人たちがいるというお話を、すこしだけしました。
 そして、フェミニストの人たちが、アニメふうのかわいい女の子の絵(「え絵」と言います))がとても嫌いなのだ、ということも言いましたね。

 でも、どうしてそうなのかということは「長くてむずかしいので」と言って省略しょうりゃくしました。

 でも、とてもふしぎな話ですよね。
 気になっていたという人も多いと思います。

 そこで今日は、その部分をちゃんと説明せつめいしようと思います。

1.「おたく」とは

 フェミニストというのは、あたりまえですが女の人がとても多いです。
 前に説明したとおり、フェミニストは「女性差別じょせいさべつに反対する」と言っている人たちですから、女のひとが多いのはあたりまえのことです。
 もちろん男の人だっておおぜいいます。
 しかし、その男の人たちも、女の人たちが「わたしたちは女性差別されているの!ひどいでしょ!」というので、「そうだね、女性差別はいけないから、おれたちも手伝うよ」と言ってフェミニストにくわわっているわけですから、けっきょくフェミニストというのは全体としても、女のひとたちの望みで動いているわけです。

 それがなんの関係があるのかというと、じつは、女の人たちのなかには、アニメやマンガをきらいな人がおおぜいいる、ということです。
 いや、もっとただしく言いましょう。
 正確せいかくには、女の人には、アニメやマンガを好きな男の人たちのことをきらいな人が、おおぜいいるのです。

 どうして?

 ふしぎですね。

 それは、30年から40年ぐらい前からですが、アニメやマンガを大人になっても楽しんでいる人たちは、おとなしくて弱そうな男の子なのだ、と思われていたからです。

 いまのみなさんは、アニメやマンガは、おとなしい子も元気な子も、誰がみたっておもしろい、ということを分かっているとおもいます。
 でも、昔はそうじゃないと思われていたのです。

 じつは、とてもとても昔のマンガやアニメは、ほとんどが小さな子どもたちに見せるためにつくられていました。
 今では大人が楽しむようなアニメやマンガもたくさんありますが、みなさんのおじいさんやおばあさんが子どもの頃、いやもしかすると、おじいさんやおばあさんも生まれる前くらいには、マンガやアニメは、小さい子のためのものだったのです。
 そのため、マンガやアニメを大きくなっても好きだなんて、きっと変なひとに違いない。そんなふうにかんがえているひとが、おおぜいいました。
 それで、アニメやマンガを好きな大人の人たちのことを呼ぶ、「オタク」という言葉がうまれました。

 いまは「オタク」というと、なにかとても熱中している好きなことがあって、そのことにとってもくわしい人、というぐらいの意味でつかわれている言葉だと思いますが、昔はアニメやマンガのような一部の趣味しゅみをもつ人のことだけを言う言葉だったのです。

 しかも、そういう人たちは変なひとなんだ、という、かなりゆがんだ、悪いいみで使われていたのです。
 どんなふうに変なのかというと、おとなしくて、弱そうな男の人たちだと思われていました。

 でも、みなさんはまだ「なるほど!」とは思っていないとおもいます。
 フェミニストが、女のひとたちが、アニメやマンガを嫌いになる理由として、まだ納得はいってないでしょう。

 だって、おとなしくて弱そうなひとだからといって、だからって嫌うことはないじゃないですか?
 ましてや、その男のひとが好きなものを取り上げてなくしてしまおう、なくなるべきだ、なんて、おかしなことを考えたりは普通はしないんじゃないの?
 
 ――と、これを読んでいるあなたは思っているでしょう。

 あなたが、男の子なら。

 でも、女の子・女の人の感じかたは、少し違うのです。

 じつは、女のひとには「おとなしくて弱そうな男」のことが好きじゃないひとがおおぜいいます。いやそれどころか、気持ち悪い、とさえ思っている女のひとが、とてもおおぜいいるのです。

2.女性のふしぎ

 世のなかには、元気な男の子も、おとなしい男の子もいます。
 おなじように、元気な女の子も、おとなしい女の子もいます。

 ぼくは、男の子も女の子も、元気であってもおとなしい子であっても、それぞれのよさがあると思います。
 これを読んでいるあなたが男の子なら、たぶん、「そんなの、あたりまえじゃないか」ぐらいに思って読んでくれるでしょう。
 元気な女の子も、おとなしい女の子も、それだけでいいとか、悪いとかは言えません。
 もちろん人によって好きなタイプというのがあるわけですが、おとなしくて弱そうな女の子をそれだけで、気持ち悪いなんて思っている男の子は、まずいないと思います。

 でも、女の子・女の人のばあいは、「おとなしくて弱そうな男の子は、気持ち悪い」と思っているひとが、おおぜいいるのです。

 なぜでしょう?
 実はそれは、男と女の、からだのしくみの違いからきているのです。

 みなさん、男の女のからだのしくみは、どうちがうと思いますか?

「男にはおちんちんがある」
「男は大人になるとヒゲがはえる」
「女は大人になるとおっぱいがふくらんでくる」
「女より男のほうが力がつよい」

 いろいろありますね。
 でも、そのなかでも特に大きなちがいのひとつは

 赤ちゃんをうむのは女のひとだ

 ということです。

 みなさん、もう保健体育の授業で、にんげんの赤ちゃんのつくりかたについて、ならったでしょうか?
 もしまだならカンタンに説明しますと、男も女も、それぞれに赤ちゃんのもとになるタネというかタマゴみたいなものを、体の中にもっています。
 女のひとに赤ちゃんを生んでもらうためには、男のひとは、自分の体のなかにある赤ちゃんのタネ(「精子せいし」といいます)を体から出して、女のひとの中にある赤ちゃんのタマゴ(「卵子らんし」といいます)とくっつけるのです。これをすこし難しいことばで「性行為せいこうい」といいます。英語で「セックス」という言い方のほうが今は有名かもしれません。
 そうすると、くっついたタネとタマゴは、女のひとのお腹のなかで、10ヶ月以上もかけてだんだん大きくなって、赤ちゃんになるのです。

 こうして、男のひとと女のひとは、その赤ちゃんのお父さんとお母さんになります。

 さてここで、考えないといけないことがあります。
 その赤ちゃんは、ちゃんと生き残って、おとなになって、つぎの赤ちゃんをつくれるでしょうか。
 いまの世の中では、すばらしい薬の発明や、お医者さんたちががんばってくれているおかげで、子どものうちに死んでしまう人間の子は少なくなっています。すくなくとも日本のような国ではそうです。
 でも、動物のばあいや、人間であっても大むかしには、そうではありませんでした。

 どんな生き物でも、自分の子どもや孫たちが、次の子どもたちをつくって、その子どもたちがまた次の子どもたちを……ということが大切で、それを続けていけるように、体のなかにそれぞれのしくみを持っているのです。

 ここで、思い出さなければいけないことがひとつあります。
 それは、人間の女のひとが一生のあいだにつくれる子どもの数は、男のひとにくらべてずっと少ないということなのです。
 男のひとは、いいわるいを別にすれば、同時に何人もの女のひとに、何人もの赤ちゃんをお腹のなかでそだててもらい生んでもらうことだって、できなくはありません。外国のむかしの王様には、何百人も子どもがいたというお話(本当かどうかわからないことが多いのですが)が伝わっている人が何人もいるそうです。

 だけど、女のひとはそうはいきません。
 なにしろ10ヶ月以上も赤ちゃんをお腹のなかで育てていなければいけないのです。そのあいだ、別のひとの赤ちゃんをもうひとり、お腹の中でまた育て始めるというわけにはもちろんいきません。
 そしてまた、赤ちゃんをお腹から生むというのがまた大変なことなのです。なにしろ赤ちゃんが出てくるのは、ふだんはおしっこするあたりの穴なので、そこを無理やり、大きくなった赤ちゃんが押し広げて出てくるので、ものすごく痛いらしいです。しかも、ときにはそれで、お母さんが大けがをして、死んでしまうことさえあるのです。

 さて、そんなたいへんなおもいをして生んだ赤ちゃんが、もしも弱い子で、すぐに死んでしまったらこまります。
 女のひとにとって、生まれてくる子どもはできるだけ強い子で、ちゃんと生き残ってもらわなくては……という必要は、おおぜいの子どもをつくれる男のひとよりも、ずっとずっと強いといえます。

 じゃあ「生まれてくる赤ちゃんができるだけ強い子であるため」には、一体お母さんはどうすればいいのでしょうか?
 昔の女のひとにとって、それは性行為(セックス)の相手、つまりお父さんになる人にできるだけ強い男だけを選び、そのお父さんの強いからだを受けついだ赤ちゃんが生まれてきてくれるように期待するしかありませんでした。
 いっぽう、一生のうちにたくさんの子どもを作れる(というか、作ってもらえる)男のひとのばあい、相手にできるだけ強い女のひとだけをえらぶよりも、たくさんの女のひとと性行為をして、赤ちゃんをおおぜい生んでもらった方が、そのうちのだれかは生き残りやすいと言えます。

 そのため、女のひとには、なるべく強そうな男のひとだけを好きになる「本能ほんのう」があるのです。本能というのは、人間もふくめた動物に生まれつきそなわった、好みや感じかたのことです。
 そして単に強そうな男の人を好きになるだけでなく、弱そうな男の人のことを「気持ち悪い」とまで思う本能まで、持ってしまっているのです。

 もちろん、いまの人間の世のなかでは強かろうが弱かろうが、なんにも悪いことをしていない人のことを、むやみに気持ち悪いなんて言うことは、とてもしつれいなことです。

 だからあまり口には出しません。

 でも、今でも心の奥で「弱そうな男なんて気持ち悪い」と思っている女のひとは、じつはとても大勢いるのです。


 そして「アニメやマンガを好きな男」つまりオタクは、弱くておとなしい男なんだという間違った思いこみが、ある時代に広まってしまいました。
 それが1980年代、つまり今から40年くらい昔です。
 このとき、そういう本能をつよく持っている女の人たちは、オタクを、そしてさらにはマンガやアニメそのものまで、つよくつよく憎んでしまったのです。

(続く)

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