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『DV”あるある”を信じられなくなった』2024-01-30

 ありきたりなエクスキューズから始めるが、私は家庭内暴力(DV)を肯定しているわけではない。
 もちろん、そんなものを肯定する奴はいないから、本来なら不要な発言である。
 ここで私が言わんとしているのは、(主に女性が)「DVされた」「この人はDV男です」と言い出しても、それを鵜呑みにするわけにはいかないぞ、ということだ。
 だがどうせここから先の話をすれば「お前はDV男を擁護している!」とかほざく奴が現れるから、最初に釘を刺しておこうと思ったのである。

 それが決定的になったのは、この件である。

 いわゆる女性被害者支援においては、自称被害者の訴えを「疑ってはならない」というのがセオリーになっている。
 私は以前には、この教えはあくまで被害者(とされている人)がすべての情報を安心して吐き出せるようにするため、疑念を表には出すな、まずはすべて話させろという意味なのだと思っていた。
 しかし、この連続講座の第一回(ちなみにこのときの講師のひとりが、共同親権派の重鎮といわれる戒能民江である)を受講してみて、どうやら「本気で」信じて寄り添えと言われているらしいことが分かった。

 つまり、女性支援というものは、冤罪防止のためにまったく機能しないどころか、それに逆行するものでさえ言えるということだ。

 それは、私を講座から追い出した過程そのものにも反映されていた。
 詳細については前掲記事を見ていただくとして、彼らは当初、私の「参加動機」を問題視するという設定で、私に参加辞退を迫るメールを送りつけてきた。
 それに私が反論を返すと、参加を拒否する理由を「グループワークの安全のため」に変更してきた。

 つまり、私を「安全をおびやかす者」に仕立て上げるという選択をしたわけである。
 前掲記事で説明したとおり、私は誰かの安全を脅かす行為など、一切してはいない。
 ただ井上匡子氏というその団体の理事をしていた女性の主張に対し「質疑応答のコーナーの中で」「挙手をして自分が当てられるのを待ち」「あくまで礼節を守った態度で」、彼女の主張の問題点に統計的根拠を挙げて疑義を呈しただけである。
 そのように、何の非違行為もしていない他者を追い出す手段として、彼女らは相手を「加害者」に仕立て上げた。

 そのような人々が、離婚問題において女性と接触し、ともに主張する「夫のDV」とは、果たして本当に事実として存在するDVだろうか。

 日本の法律は裁判離婚に際し「有責主義」を取っている。
 有責主義とは、一方が離婚に同意しない場合、離婚を希望する側が「相手が悪い」場合にのみ法律的に離婚を強制できるということだ。
 そして相手に責任を押しつけられるかどうかに、数百万円単位の慰謝料、財産分与、そして親権が懸かっているのだ。

 フェミニズムにかんする単なる意見の相違くらいで「安全をおびやかす加害者」にねつ造する人々が、このような重大、高額な利害を目の前にして、DVを捏造する誘惑に抗しきれるだろうか。
 女性側がDVを捏造するためには、ほとんど「ただ言い張るだけでいい」にもかかわらず。

 私には、とてもそのように信じることはできなくなった。

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