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施設とインターフェイス

きのう美術館でトイレを探していた。
目でうろうろと探したのだけれど、すぐに見つからなかった。
結局はこの辺かな?とアタリとつけていった奥の方にあったのだけれど、そこに行くまでに、案内表示(サイン)がなかった。帰り道に見たら、あとから設置したと思われるコインロッカーに隠れてしまっていた。

それで思い出したのが、20代に映画館のバックオフィスではたらいていた頃のこと。

現場に出ていると、お客さんからよく聞かれたのが、
「トイレはどこですか?」
「○番という劇場はどっちですか?」
「どこから入るんですか?」
それはもう、しょっちゅう、しょっちゅう聞かれた。


アルバイトさんも、「もーしょっちゅう聞かれるんですよ」と苦笑い。
にっこり笑って丁寧に案内するんだけれども、週のうち複数日、同じ場所にいて、しょっちゅう聞かれていると、やっぱりちょっとイライラもしてくるときもある。

でも、よく聞かれるということは、それだけわかりづらいということの裏返しなのだった。
その映画館の問題は、そもそもの建物や部屋や順路のつくりが、人間の自然な動作上にないことだった。照明や寸法や素材でも一発でわかる、というふうになっていなかった。そしてさらにそれを補うための案内表示もわかりづらかった。

きのうの美術館みたいに、あるけれど死角になっていたり。
見上げないとわからなかったり
「背景」に溶け込んで認識しづらかったり
ビジュアルではなく文字情報だけだったり。
理由はまぁいろいろとある。

一番の死角は、「中にいる人」には当たり前になっているので、不便に気づきにくいということだった。
だから、「えー、なんでしょちゅう聞いてくるんだろ?」となる。そしてその不満が積み重なってくると、まるでお客さんが悪いみたいなことを言い出してしまう。

空間や内装を設計する人は専門家で、インターフェイスの設計も視野に入れてお仕事をしていると思う。そこはクリアしたとしても、建ったあとで使っているうちに、別の動線を引く必要が出てきたときなどに、人間にとって快適に・自然に、気づける・動ける、空間設計と案内表示の出し方についての基本的な知識や学びが、使い手に必要だよなぁと思う。自分で作らないまでも、どういうものが必要そうとイメージできるとか、施工してくれる人と話をする必要がある。

もちろんちょっとしたことがお客さんと言葉を交わすきっかけにもなるけれども、「そのことで別に会話を発生させなくてもいいかも?」という部分にまで食い込むことや、それに対して接客の丁寧さのみで補うのって、働く人にとってはけっこうストレスフルなのだ。

場所との関係づくりや信頼や愛着は、こういうところからもはじまるのだったなぁと、ふと思い出した。