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作庭私論 「旅の中」 ⑥

これは2008年・平成20年9月1日発行 庭 No.183 建築資料出版社で取り上げて頂き、作庭私論のコーナーで書き留めた、自論というよりも自身を組み上げてきた成り立ちのようなものを書き綴ったものです。
それをnoteに分割して引用します。一部固有名詞など隠す場合があります。

直感的に湧き上がってきた感情

ヘンテコおばさんから4年前、今から11年前のことです。

梅雨終いの豪雨を別府の鉄輪温泉で宿っていました。

どうにもこうにもならないということで、2度目の屋久島を目指すことにしました。

屋久島は梅雨が明けていました。

意外とカラッとしていて風が爽やかです。

トカラ列島も夏空の中、気持ち良さそうです。


ある沢を登っていた時です。

ヤマモモの木陰の下、大きな白い花崗岩の上で昼寝でもしようと横になったとき、一生懸命に働くアリが目に入りました。

そのアリは今さっき私が食べこぼしたゴマ粒にもみたない小さな飯くずをすかさず運んでいたのです、

そのスキの無い小さなありを見たとき、パッと頭に強い力がきました。

「こんなところで昼寝なんてしてる場合じゃない。安諸定男親方のところへ行って仕事を習いたい」、いきなりそんな気持ちがふって湧きました。


安諸親方のところへは一度たずねて行ったことがあります。

『庭』第105号《安諸定男の世界》が出たときです。

いつかは、と思っていましたが、このとき東京の鶴川から、はるかかなたの屋久島でなぜ急にそんな気持ちになったかわかりませんが、とにかくいてもたってもいられなくなり、飛ぶように宿まで帰り、

「オレ帰る、安諸さんのところへ行くんだ。」

宿の人が「えー何で、今夜は海亀の産卵みんなで見に行くっていってたじゃない」といいましたが、「行かないよ、もともと興味ないんだから」と。

海ガメの産卵、ときたまテレビで感動的に映し出されていますが、何だか
違う気がします。

それは当たり前でいちいち人が見るもんじゃない、そっとしておくべきたと思っています。

ところが宿の人たちに強引に捻じ伏せられ、見に行くはめになりました。


上屋久町永田。

毎年たくさんの海ガメたちが産卵にやってくる砂浜です。

夜、私は一人で砂浜から闇夜の海を眺めています。

後ろでは大きなカメがゆっくりと砂にソワソワとした足跡をつけながら歩いていきます。

そしてその後に人間の一行が静かについて行きます。

その姿を見て私は「みっともない」と思いました。


懐中電灯がパチパチッと点きました。産卵の始まりです。

「みっともない、けどせっかくだから……」と賤しくも見に近寄りました。

みんなは感動しています。

すると見るからに土地のおばちゃんたちがひそひそとしゃべっています。

よく耳をすますと、「あれは、焼いて喰うとうまい。」

「えっ、食べちゃうの?」私は急に楽しくなりました。

どうやら昔の話で今は食べていないようです。

しかし、この1つの輪の中に、こんなにも感じ方の差があり、そのカメも
ヒトも必死に生きていたその事実に、庭を感じたような気がしました。


翌朝、私は屋久島を離れ、東京の鶴川の安諸定男親方の家を目指しました。

親方の下で何としても修業をしたい。

入れてくれるまでは1歩も動かない覚悟でした。

次の日、鶴川にたどり着きました。

今回で2度目の訪問ですが親方は留守でした。

しばらくして帰って来られ、何とか働くことを許していただけました。


つづく

次回『旅の中』⑦は、すべてひっくり返された

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